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社名入りの制服の襟を直しながら彼女が言う。青いつなぎ風の制服は左胸に会社ロゴが刺繍されていた。七つの星をあしらったそれは街のあちこちで見かけるおなじみのもの。彼女は取り出した契約書と一緒に専用のペンをテーブルに置いた。内容はアヌビスと共に生活するに当たっての注意事項などらしい。僕はろくに読みもせずに適当なサインを書きこんだ。すると書いた文字の隣に「3000.3.21」の文字が浮かび上がってくる。たぶんこれが到着確認の印なんだろう。僕は無言で彼女につき返した。
「ありがとう。……今すぐにとは私も言わないわ。でも、ゆっくりでも構わないから心を開いてほしいの。そうしないとあなたが何を好きで何が嫌なのかが分からないから」
もとより何も返すつもりは無かったが、ローズはこちらの言葉を待たずにてきぱきと今に散らばっているごみを片づけ始めた。昨日食べたオリエント風サラダのパッケージ、床に転がったままの酒のボトル、割れた陶製食器の破片――空間に漂う重苦しさを一つ一つ取り除いていく。よく訓練された成果か、一時間も経たないうちに今はすっかりきれいになっていた。その様子を僕は黙って見ていただけ、手伝えるような気分じゃなかったから。
地面をはるか下に見降ろす窓の外では、偽りの天候が薄暗い雨雲を偽りの空に流している。時折そこから身を投げ出してしまいたいと考えることがある。思い詰めている訳でもなく、ただ何となく。心の中に巣くう空虚が疼いてそうさせているのかもしれない。これから先この空虚を埋めていけるのだろうか、ローズが来たことで変わっていけるんだろうか。
「ふう、一先ずこの部屋は終わり、と……フィリップ君だっけ? よかったら他の所を案内してもらえないかな」
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