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オレが閉めた扉をユキが強引に開けることはできない。強く拳を握った途端、再びいやな波が押し寄せてきた。冷や汗が出る。
「……部屋に薬、置いておくね」
扉越し、いつもどおり優しい声。ユキより先にオレが消えたら、あるいはオレを忘れないでいてくれるだろうか。
『ピッ……和希? いまどこにいる? とにかく連絡寄越しなさい』
『ピッ……高梨。早まるんじゃないぞ。帰ってきちんとお父さんと話をしなけりゃだめだ。たとえ親子でも口にしないと伝わらないこともある。いまかピーッ』
成瀬の伝言は時間切れだった。思わず笑ってしまってから顔を上げる。さすがにもう寒い。コート、着てくればよかったな。伝言を聞き終えて、オレは手首に巻いた端末から顔を背けた。両手を高く伸ばして大きく深呼吸をする。眼下に広がる湖面は、キラキラと嫌味なほど優雅に太陽の光を反射している。
また端末が受信の信号をチカチカお知らせしてきた。画面には「ユキ」の文字。自動的に伝言へ移行する。
『ピッ……もうすぐ着くから待ってて。和希』
ドクン、と全身が脈打つ。もうすぐ着くって……いや違う、それよりいま「和希」って呼んだ?
今朝は、ユキの出立を親父と見送る予定だった。一ヶ月前から高梨家の予定表に鎮座してきた約束の日だ。けれどオレは逃げた。早朝、誰にも行く先を告げないままGPSを切って家を出た。
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