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二種類あるブレンドから深煎りのブレンドを注文した。ちなみにもう一つは浅煎り。実は酸味の強い浅煎りは苦手なんだ。
――――あいつは最後までそれをわかってくれなかった。
目の前の厨房で、注ぎ口の細いケトルが火にかけられる。ドリッパーには私の注文したコーヒー豆が、きちんと計量されて入れられる。
そのようすをぼんやりと眺めていた。
『何でも流行りに乗るの、嫌なんだよ。深煎り深煎りって、ブームなだけだろ。俺は断然浅煎り派。酸味と苦味のバランスが……おい喜美、聞いてるか?』
哲夫はいつもそうやって私のすることを、好みを、考えを浅はかだとまず決めつけてきた。最初は知識の深い人だと耳を傾けてきたが、どんどん鼻につくようになってくる。
結局、哲夫はいつでも自分が他者より優位に立っていないと満足できないタイプの人間だったのだ。だから他人を否定して回っている。一度そう感じてしまえば彼を尊敬できなくなってきて、だんだんデートの回数も減ってきた。
こぽこぽこぽ。
ケトルの細い注ぎ口からゆっくりとドリッパーにお湯が落ちる。軽く湿らせたくらいで一度注ぐのをやめて、豆を蒸らすのだ。ふわりと漂う香ばしい香りにふっと気持ちが緩む。
緩んで、考えたくないことを思い起こしてしまう。
無条件で自分を崇め奉ってくれる存在が必要だったのだろう、ちょっと会わないうちに哲夫は新人の女の子に手を出して出来ちゃった婚と相成った。社内でも有名な恋人同士だったはずの私は、周りの人の同情と興味本位と嘲笑の視線に耐えられず、すごすごと会社を辞めてしまったのだ。
哲夫に裏切られたこと自体は悲しくなかった。つまるところ私も哲夫も既に気持ちは終わっていたのだろう。けれど全く傷つかなかったわけではない。そこから奮起して頑張るには私は疲れ切ってしまっていた。
何を支えに頑張ればいいのかわからなくなっていたのだ。っと使っているんだろうか?
時間にして二、三十秒。
蒸した豆に細く熱湯が注がれる。フィルターには触れないようにのの字を描くと、ぶわあっと豆が膨れ上がる。この豆が膨らむのを見るのが好きだ。どこかワクワクする。
数回に分けて熱湯が注がれたら、あとはドリップが終わるのを待つばかり。
白地に青い花が描かれた小ぶりのコーヒーカップにゆったりと注がれたコーヒーが目の前に置かれた。
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