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会いたい、会いたい、貴方に触れたい、声を聞きたい、沢山話したい事がある、沢山伝えたいことがある。
喉を通る息も目頭も熱い。
夏樹は意を決して扉を開いた。耳に届くのはドアベル、そして客を迎える人の声。壁紙も間接照明も、目の前のカウンターも何も変わっていない。相変わらず、店内には香ばしい珈琲の匂いが漂っている。
「いらっしゃーー、あぁ、夏樹さん。随分と久しぶりですね、眼鏡にしたんですか?」
「結城くん、久しぶり…」
「雰囲気、変わりましたね。あ、ねぇ夏樹さん」
結城はちょいちょいと指を曲げて、近くまでおいでと言う。3年ぶりだと言うのに、変わらない店と同じで、この店員も変わりなく親しげに笑っている。
「随分と待たせて、小悪魔も過ぎるんじゃありません?」
「ーーえぇ?」
「だってほら、あの人」
毎週通って、夏樹さんの事待ってる。
結城は夏樹の耳元で囁くと、そっと華奢な背中を店の奥の方へ優しく押してやる。
「……ぁ」
「早く王子様を起こしてあげてよ」
奥の角の席、扉が見える様に壁際の一人がけのソファに座ったあの人は…肘掛に頬杖をついて、文庫本を片手に目を瞑り、眠っていた。
柔く照らす間接照明に当てられてぼんやりと浮かぶ彼は、夏樹が望んだ幻の様で確かめる様に一歩ずつ近く。
敷かれた絨毯が足音を吸い込んでしまって、彼は気配に気付く様子もない。静かに寝息をたてていた。
側まで行って向かいの席に座ろうかと迷ったものの少し逡巡し、真横に屈んで膝をつくと彼の顔を見上げる。
黒い髪、量の多い睫毛、綺麗な鼻筋、ほんの少しだけ開いた形良い唇。一つ一つが彼を作る全てが眩い宝石の様に輝いて見え、幻を思わせた感情は霞となって消えた。
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