健一とクモ

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 もっとも、そんな健一だが、クモが現れそうな場所を嗅ぎつけてあらかじめ警戒するということはしない。目の前にクモがいなければ、あるいはもっと言うなら健一自身がクモの存在を認知していなければ、林のなかだろうが、祠の裏だろうが、苦にはならないらしい。偏食の多い子どもが、たとえばニンジンが食べられないといいながら、素材の原型が認知できなくなるように調理されたものならならパクつくのと同じように、トラウマ的恐怖とは、その程度のものなのだろう。  大学に進学する年齢となったころには、かつてのようにあたり憚らず怖がることはなくなった。しかし、それはトラウマが根本的に解決されているわけではなく、無理に抑え込んでいるに過ぎない。だから、淳平のような気の置けない人間しかいないときなら、子どものころのように、飛び跳ねるような怖がり方になる。この、なかなかラーメンが出てこない中華料理店でも、テーブルに現れた小指の爪サイズのハエトリグモに対して怯えているのは子どもに戻った健一なのである。  淳平は、そのハエトリグモを手で払いのけてやって、健一を落ち着かせた。
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