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中学生になり、高校生になると、さすがにその手のガキっぽいいたずらはなくなったが、健一がクモに対して人並み以上に怯えるのは、仲間うちでも有名な話だった。
そこまでクモを恐怖するのは、本人いわくカフカのせいらしい。なんでもまだ幼かったころに読み聞かされた『変身』が強烈な印象を残したこと、それが根本的な原因なのだという。もちろんカフカの『変身』は幼い子どもが読む本でもないし、読んで聞かせるに相応しい本でもない。健一にしても、誰に聞かされたのかは覚えているわけではない。それに記憶に残っているといっても、有名な冒頭の一節だけなのだから、ホラー系の小ネタにアレンジされた2次創作本みたいなものだったのだろう。
『変身』体験がこれだけで終わっていたなら、クモ恐怖症などにはなっていなかったのだが、間の悪いことに、それと前後する形でタランチュラもののB級スプラッターを見てしまった。その結果、記憶のなかの映像はタランチュラ映画なのに、そこに登場する恐怖の権化タランチュラは、ある朝に自分が変身したなれの果てのように感じられ、震えが止まらないのだそうだ。あるとき、健一が語ったことがあった。「たぶん、読んでもらってからすぐのころだったはずなんだけど、夢を見たんだよなぁ。手と足が全部半分に割れていって、それから身体がどんどん小さくなっていくんだ。それで手足は全部で8本になってるし、身体中にへんな毛みたいなのが生えてるし、要するにおれがクモになってるんだよな、めちゃくちゃにリアルな夢だったから、今でも忘れられないんだ」
『変身』のなかで主人公のグレゴール・ザムザが姿を変えるのは、クモではなくて毒虫である。なのに、健一の場合はザムザ風の変身を体験してクモになってしまうのだ。記憶の混乱といえば、そうなのだろう。とにもかくにも、曖昧な記憶が曖昧なかたちで混ざり合った挙げ句、異常かつ過剰なクモ恐怖症のトラウマとなっているのである。
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