第1章

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実際、フーヤは優等生として成長し大学の医学部を卒業して、大学院を経て精神科医になった。 高校時代から心理学に傾倒していたフーヤは、精神科医に憧れ、その夢を叶える事に成功する。大学時代には、アメリカとオランダにそれぞれ短期留学して、主に精神薬学を勉強した。インドやメキシコにも行ったフーヤは、大麻やメスカリンなどの薬物を自ら体験する事で精神薬学の魅力に取りつかれるようになる。   それ以外にも、コカイン、モルヒネ、アンフェタミン等の麻薬や覚醒剤の薬理作用や脳の中枢神経に与える影響などを寝る間も惜しまず勉強した。 クリニックのオープン当日、事前に予約を受けていた五人の患者がフーヤとチカの診療を受けに訪れた。 完全予約制で一日五人まで、というスタイルで一人一人の患者にじっくり時間をかけてカウンセリングと診察の双方を行い、薬は、なるべく副作用の少ないものを最小限処方するやり方を貫いた。そんな今時珍しい丁寧な診療スタイルが評判となりスローライフメンタルクリニックは、千葉県内のみならず県外からも予約の申し込みが殺到する事になる。テレビ局の取材の依頼はいくつかあったが、全て断わっていた。 充実した毎日を過ごしていたフーヤとチカは、そろそろ夫婦としての愛の結晶である自分達の子供を作りたいと話し合うようになっていた。 二人の夜の生活は時間的にも体力的にも限られたものだった。 お互いクリニックの仕事が夜遅くまで続き、マンションに帰る頃には、疲れきっていて簡単な夜ご飯を食べて風呂に入って、そのまま寝てしまう事が多かった。 チカの不眠症は、フーヤが処方した睡眠薬では効果が見られずあれほど疲れているのにベッドに入るとチカは以前より酷くなった自らの不眠症に苛立ちスヤスヤと眠りこけているフーヤの姿を間近で見ているだけで腹が立ってワインやビールなどの酒をやめられなくなっていた。 結局、チカはカウンセラーの仕事を辞める決意をフーヤに告げる。 自分だけでも時間的余裕をたっぷり取る事で休診日なら朝からでも昼からでもフーヤと子作りに励めるしフーヤもチカの考えに同意した。 チカの不眠症は、かなり深刻だった。 フーヤは、最終手段としてバルビツール系の睡眠薬を大量にチカに処方するが、それは二人がこれから赤ちゃんを作ろうとしている段階では危険を伴うものだった。 サリドマイド。
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