第1章

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しばらくして、ミラーは関係者用のトイレの個室で血まみれの状態で見つかった。ドクターが駆け付けた時にはもうミラーは息絶えていた。トイレの個室の壁には血文字で 「MOTHER」とだけ書かれていた。 ミラーがトイレで自殺をした事で試合は中止となり玲也は何もすることなくまるで狐に抓まれたような気分で会場を後にした。有美は、試合が中止となったことよりもミラーが自殺した理由を探していた。 「何で?」 異様な空気に包まれた試合会場は、数時間後誰もいなくなり静かで不気味な雰囲気に変わっていた。 数日後、玲也は肉体労働のアルバイトをしながら日々を淡々とこなしていた。有美はテレビ関東のアナウンサーの仕事に復帰して充実した毎日を過ごしていた。 二人にとってのこの三年間は奇妙かつ激動の日々となったが、サイン・ミラーという稀有な天才ボクサーとの関係も含めて二人の頭の片隅に常に鮮明な記憶として刻まれた。 一年後、玲也は再びプロのボクサーとしてリングに上がっていた。遅咲きボクサーの復活は誰も話題にすらしなかったが、川海老会長は喜んで玲也の復帰を受け入れていた。 有美は、テレビ関東の社員の男性と結婚が決まり仕事を続けながら主婦になる決意を固めていた。玲也のボクサー復帰の話は何となく風の知らせ程度に聞いていたが玲也と有美の関係が昔のように近づくことは無かった。 月日が流れ、玲也はプロボクサーを引退して川海老ジムのトレーナーとして新たな道を模索していた。プロとしての戦績は、16戦6勝6敗4分け。2KO勝ち。 有美は、二人の子供を産み専業主婦になっていた。子供達の成長が時の流れの早さを感じさせた。有美は今でも玲也のプロボクサーデビューの切り抜き記事を大事にお守り代わりに肌身離さず持ち歩いていた。 数年後、玲也は街でたまたま有美を見つけると有美の方も玲也に気付いて笑顔で軽く頭を下げた。玲也も笑顔で頭を下げてから右手を上げて拳を力強く握りしめた。有美も同じように右手を上げて指でOKサインを出した。 そのまま、二人はそれぞれ別の目的地に向かって歩き出した。 二人の距離が離れていく中、穏やかで暖かい風が気持ち良く街を包んでいった。
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