第1章

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 私の人生に於いて、今、この状況を冷静には無理かもしれないが見つめ直す必要があると思っている。その為には、私がまだ幼少期だった頃に時計を巻き戻していかなければならない。今、この施設に身を預けた私は、ゆっくりと穏やかに流れる時の中でその記憶を紐解いていく作業をミルクがたっぷりと注がれた紅茶を飲みながら進めていく事にした。  幼少期を過ごした千葉市の埋め立て地に建てられた集合住宅へ家族四人で引っ越してきたのは、私が小学校一年生に上がるタイミングに合わせているかのようだった。今にして思えば私は、母親が大好きで母も次男坊の私をかなり溺愛した。気が小さいのか?もっと別の理由があったのか?私は、母無しでは一人で何も出来ないような子供であった。父は、当時まだ公務員だった郵便局に勤めていた。二つ年上の兄は、私と違って活発なやんちゃ坊主の様な節が弟の私から見てとれた。  勉強に関しては、兄の方がとても優秀だった。私は、学校では、いつもビクビク怯えながら過ごしていた。この頃から新しい環境への適応や集団行動、ある程度の自己主張といった社会性、コミュニケーション能力が欠落していたような気がするのである。  父も母も国立大学卒のエリートではあった。兄も私が小学校四年生の時にいわゆる「お受験」で千葉市内の高名な中学校に見事合格した。私は、勉強はおろか運動も何もかも「劣等生」そのもので両親は、高学歴なエリート家系に於いて唯一「出来損ない」の私の、運動はともかく「勉強」だけでも人並み以上に出来るように金に糸目を付けず有名な学習塾や東大生の家庭教師を付けるなどして私の勉学の向上をありとあらゆる手段で試みていた。  勉強だけに限らず、どこか私は、同級生や同学年の生徒たちに比べると何をするにもワンテンポずれていて次第に学校でいじめっ子の格好の「ターゲット」にされてしまった。  いじめが加速する事で、私は、ますます学校や勉強が嫌いになり中学校に進学する頃には、完全に自分の殻に閉じこもってしまい、家庭内でも優秀な兄と常に比較されて私は、どこにも心安らぐ空間を見出すことが出来なくなってしまった。  そんな私を、唯一心から心配してくれていた母親に連れられて初めて精神科の診察を受けたのは、中学二年生の時だったと記憶している。
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