#思い出す一重目の気配

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#思い出す一重目の気配

翌週、浩市は久しぶりに妻と食事を共にした。新宿のある洋食専門店のグリルだった。妻は直美と言って、浩市とは学部は違うが同じ大学のサークルで知り合った同級生でもある。 彼女は英文学科卒で、現在は通訳や翻訳の仕事に携わっていた。割りとお堅い仕事が多かったこともあり、カメラマンという自由気ままな職業の浩市とは徐々に心の距離も生活の空間も開いていった。 そんな妻との久しぶりの食事である。直美も二人で揃って食事をするのが久しぶりであることを理解していた。 「久しぶりなのに外で食事なんてごめんね。ホントは家で作ってあげたかったんだけど、また明日から忙しくなるし、色々と余らせるのももったいないと思ったから。」 浩市も忙しいのは同じである。また、直美のスケジュールに合わせることが容易でないことも自覚していた。 「仕方ないさ、お互い違う世界で生きてるんだから。ボクこそ申し訳ないと思ってるよ。もっと二人の時間が取れると思ってたんだ。あの時は・・・。」 結婚した当時、まだレギュラーとも言える仕事がさほど多くなかった頃は、もう少し直美との時間に融通がついた。しかし、あの頃とは比べ物にならないほどの仕事数をこなす事になった現在は、ゆっくり話をする時間が随分と減ってしまった。 「今日はもうオフなんでしょ。久しぶりに一緒に帰れるわね。」 「そうだな。何ヶ月ぶりだろうな、一緒に家に帰るのは。」 急に直美の顔つきが変わる。 「それって嫌味に聞こえるけど。」 「そんなつもりで言った訳じゃないよ。キミに非があるなんて思ってない。」 「そう。」 呟くように短い言葉を吐き出す。 「またお義母さんから留守電が入ってたわよ。孫の顔はまだかって。ウチのお母さんにも言われたわ。」 「あまり深く考えるなよ。今は出来ない夫婦も多いって言うし。コウノトリだって、いずれはボクらの居場所を探し当ててくれるよ。」 「気休めはよして。あのねコウちゃん、そんな行為も無いのにコウノトリが飛んでくるわけ無いでしょ。」 少しばかり気が滅入っている様子の直美は、やや声が甲高くなる。 「ならば、今晩試してみる?」 学生時代から割りと陽気な浩市は、こういうお喋りで皆から人気があった。 「ハイハイ、あなたが途中で眠くならなければね。」 おそらく過去にそんなこともあったのだろう。直美もあまり期待していない様子だ。
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