#一重からはじまるプロローグ

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#一重からはじまるプロローグ

花の香りは数知れず。人の匂いもさりとて同じ。 花の命は短くも。恋の命もさりとて同じ。 男と女は何ゆえに恋に落ち、何ゆえに愛に溺れるのか。 じっとりとした汗とむっとした熱気の中で、お互いを認め合い求め合う。 一目逢ったその時に、狂おしくも愛おしい感情が芽生えるとき、人は恋に落ちていく。 男でも女でも老いも若いもかかわらず。 人恋しくなる頃は九月と決まっている。私はそう思っている。多くの出逢いが春であるかのように思われがちだが、私の場合は大抵が九月と決まっている。 夏の盛り。暑さに興じて人は心も体も開放的になるという。まさしく多くの若者たちがこの時期に愛を育み、そして勘違いをするのだ。 過ちを幾度となく繰り返す人種たちは、そのことにいつまで経っても気づかずにいる。だから九月の出逢いがわからないのだろう。 本当の出会いは、狂気にも似た八月を過ぎた辺りに待っている。それを見逃すか手に入れるかで本当の愛に触れられるかどうかに係わるのである。 また、男と女は一瞬にして決まる。私は少なからずそう思っている。 どんなに努力しても越えられない壁があるのに、一瞬で恋に落ちる場合があるのはなぜだろう。だから男と女は何度も過ちを繰り返し、反省をし、またぞろ繰り返すのである。 この物語に登場する一人のとある平凡な男は、まさにその一瞬で恋に落ち、その愛に溺れ堕ちていった。 私たちはそんな彼をあざ笑うことができるのだろうか。真剣に恋に立ち向かった男を嘲笑することができるのだろうか。 それは、感じた人がそれぞれで判断していただきたい。 物語は悦楽の八月が終わり、享楽の後片付けに余念がない九月の中頃から始まる。 男の名は斉藤浩市。今年三十三歳になった。妻はいるが子供はない。どちらに原因があるのか判らないけれど、子供ができない夫婦である。親戚からは、特に双方の両親からは待ちかねている孫の吉報を一日千秋の思いを込めて催促されている。この夫婦には、その視線がどうやら苦痛と感じる日々が到来しているようだ。 そんなことも引き金になったかどうかは定かではないが、彼の恋に落ちていくきっかけとなった場面から見てみよう。 浩市は結婚して五年が経過した今年の夏、一瞬で恋に落ちる人と出会ってしまう。 決して恋に落ちてはいけない人に。なぜなら、彼女は人妻だったから。
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