#思い出す一重目の気配

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「じゃ、夜の臨戦に備えてスタミナつけないとね。」 浩市は目の前に運ばれてきた好物のビフカツに突撃を始める。少し和やかな雰囲気に戻った様子で直美もビーフシチューに手をつける。ここはただのグリルである。ホールでもなければラウンジでもない。食事がメインなので、二人はグラスに二杯ずつの赤ワインを楽しんだだけで、それ以上のアルコールは控えた。 久しぶりの食事だというのに、二人の会話が盛り上がることが最後まで無かったのは、今に始まったことではない。 結婚して既に五年の歳月を培ってきた二人には、新婚当時の新鮮さはもう無い。逆に、学生時代からの付き合いで色々な事が解りきっているだけに、もどかしさもそれなりに溜まっている。 自宅マンションへは新宿から電車を利用する。二人の住まいは板橋の駅から程よい距離のマンションである。山手線からは外れるので、東京駅に行くのはやや不便だが、新宿へは快速で二駅約十分と便利である。新宿に出版社がある浩市と渋谷に勤めている直美にとっては好都合なロケーションだった。 まだ都内では秋の風が吹くまでに間がある季節。部屋に帰るとモワッとした空気が部屋中を満たしていた。窓を開けて、エアコンのスイッチを入れると、ようやく人が佇める空間となるのである。 「先にシャワーに入ってくれない?洗濯を済ませたいから。」 部屋着に着替えた浩市は言われるがままにシャワールームへ向かう。 「なんなら一緒に入る?」 少し期待しながら誘ってみた浩市だったが、 「シャワーなんだから、さっさと入ってね。」 と一蹴された。 浩市は直美とのベッドインの前に、先日の夜の彼女のことを思い出していた。久しぶりに自分より若い女性の肌とその温もりであった。そしてキョウコのことも。 このとき浩市がキョウコのことを思い出さずにいれば、この先の未来の出来事は起こらなかったに違いない。 やがて二人揃って久しぶりの就寝タイム。普段から同じ寝室で過ごしているはずなのに、いつもはどちらかが必ずと言っていいほど疲れているか酔っているか・・・。 今宵は帰宅するまでに同じ時間を過ごしてきたので、気持ちも雰囲気も同じであるはずだった。しかし、夫婦であるにもかかわらず緊張が走るのはなぜだ。不審な違和感を持ちながら自らの腕の中に誘う浩市であったが、なぜか脳裏によぎる別の香り・・・・・。
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