25.スフェノス

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25.スフェノス

 審問の場は騒然となった。  アーネスも目の前の光景に呆然とする。自身は魔術師として未熟である。しかし、この胸の宝石に宿る使い魔は圧倒的な力を誇っており、彼の目を欺き、呪詛や毒の類を仕込むなど不可能である。 「アーネス」 「っ…………!」  さめざめとした声で我に返る。  床に倒れた少女の傍らに下りて来た麗人は、色を失ったその額を撫でた。 「何者かにしてやられたようですね。心当たりは?」 「いや……。彼女は部屋から一歩も出ていないはずだ」  傍らに立つ自身の使い魔と視線が交わる。ここまでの道のりを思い起こし、アーネスはじわりと脂汗を滲ませた。 「ただ……。誰かが彼女に紅茶を淹れていたらしい。けど、僕らには心当たりがなかった」 「そうですか」  頷いたフルゴラは立ち上がり、目を伏せた。 「リアトリス」 「はい。ここに」  見計らったかのように現れたリアトリスは真っ赤なドレスの裾を持ち上げ、麗人に頭を下げる。 「彼女の容体はどうなっていますか」 「大したモノではありませんわ。ええ、少々……。だいぶ深くに潜っているようですけれども……」 「潜っていると言うのはどういうことだい」  アーネスの問いに、現れたクルスタが代わりに答えた。  白銀の精霊は淡々と彼女の容態を告げる。 「シオン様は記憶の底まで連れ込まれているようです。深層まで潜っているため、記憶からの浮上、要は起床にはお時間がかかるかと」 「記憶の底? 彼女が忘れてしまった過去を見ているのかい?」 「詳細は分かりかねます。ですが……」  クルスタは全てを口へする前に言葉を切る。  ジェドネフがおもむろに指を鳴らすと、アーネスたちを覆うように地面が盛り上がった。  一呼吸の間を空け、広間の天井がパックリと切断される。美しい断面の瓦礫が広間に重なり、集まっていた人影は途端に息を潜める。 「…………」  その碧眼は怒りに燃えていた。  割れた大地から跳び出してきた青年の周囲に重い風が渦巻く。目には見えぬ重圧に、アーネスは身構える。  その横でジェドネフがため息をついた。銀をまとった長身がふたつ、彼と肩を並べる。アダマスの手に、青い雷が湧き立つ。 「この状況で我らに刃を向けるとは、愚かにも程があろう」  クルスタの後ろで、リアトリスは眉をつり上げる。 「自身の主人共々、私たちを切り捨てるとでも?」 「切り捨てる……? 君たちの形が残るほど手を抜くつもりはないぞ……!」  スフェノスは右腕を払う。吹き抜けとなった天井のさらに上。夜空にはおおよそ、人の手にはあり余る巨大な刀剣が無数に現れた。  息を呑むアーネスの隣で、リアトリスの口角がひきつる。 「僕が誰に創られたと思っているんだい……? 僕の剣が僕の主人を貫くはずないだろう」  碧眼は月明りを受けて苛烈に輝いた。  アーネスは依然として意識のないシオンの前に立つと、震える声を張った。 「スフェノス。僕らはシオンに危害を加えるつもりはない。この失態は必ず償う。だから今は……!」 「言ったはずだぞ、『ジェドネフの主』……! 次は無いと……!」  アーネスの言葉を遮り、スフェノスの腕が振り下ろされた。  ジェドネフの悪態と共に弾かれた指の音が響き渡る。床が大きくめくり上がり、アーネスたちの前に堅牢な岩の壁が現れた。その間に雷が天を貫き、閃光が暗闇を穿つ。  アーネスは一刻も速くその場を離れようと、自身より一回り大きいシオンの腕を肩にかけようとした。 「うぅっ……。うで……いたい…………」 「シオン……?」  寝言とも呻きとも取れる声にアーネスは目を瞬いた。血の気の失せた瞼がうっすらと開かれる。  不意に、どこからともなく金属が擦れる音が聞こえてきた。まるで鎖が絡み合うその音にアーネスが振り返ると、瞬く間。世界から音そのものが消える。  空を裂く剣も、天を貫く雷も。跡形もなく霧散する。  月を浮かべた夜空には雲ひとつなく、数多の星が瞬いていた。  その光景に息を呑んでいたのはアーネスだけではない。  スフェノスは整った顔立ちを歪め、突如そこへ現れた黒い影に歯噛みした。 「どうして、君が……」 「…………」  それは人の輪郭を辛うじて縁取った霞のようだった。頭部と思わしき場所に輝く一対の蒼い双眸が無ければ、それを人型と断じるには難しかったろう。  影は崩れた天井からこぼれる月光の元、ゆらゆらと揺れていた。 「何ですの、アレは……?」  リアトリスが目を凝らし、怪訝な声を漏らす。アーネスがフルゴラを盗み見るも、彼女は相変わらず冷ややかに事の成り行きを眺めていた。 「アーネスさん……うで……」 「え……? あ、ああ……! すまない、シオン……!」  アーネスは慌ててシオンの体を床へ下ろした。強引に担がれかけていたシオンの腕が妙な軋みをあげる。  自力でむくりと起き上がる彼女の姿を横目に、スフェノスは安堵の息をつく。そして再び目の前の黒い霞を睨んだ。 「君が仕組んだことなのかい、ラドラドル」 「…………」  影は無言のまま、蒼い瞳を伏せる。そして再び、音も無く消えていった。 「あの……何があったのか……。教えていただいてもいいですか……?」  アーネスの腕の中で、シオンはひとり目を瞬く。  まだどこかたどたどしい彼女の唇に、アーネスは大きく息をつき、胸を撫で下ろした。
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