09.不意打ち

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09.不意打ち

 辺りが騒然となる。悲鳴や、怒鳴り声もあった。人の波が城門へ殺到する。  シオンは呆然と、先ほどまで在ったはずの人影を探していた。  瞬く合間に何があったのか。理解がまるで追いつかない。 「わざわざ当人が出てくるとは思わなかったな」  冷ややかな声音が聞こえた。  振り返るとスフェノスの手には剣が握られている。いつ現れたとも知れぬ白刃は、陽光に照らされ、刀身が自ら輝いているようだ。対照的に、それを手にする男の表情は背筋を凍らせた。 「す、スフェノス……?」  難とか声を絞り出すも、その声が引きつる。  認めたくはない。何が起きたのかも分からない。だが、原因が彼であることは、誰の目にも明らかだ。  シオンの問いかけに、スフェノスは表情を和らげつつも、足を肩幅に広げた。 「大丈夫、このくらいで死ぬような人間じゃないよ」 「え……?」 「僕も腕の一本くらいは、もっていくつもりだったのだけどね。腕が鈍ってしまったようだ」  シオンはスフェノスの視線を追いかける。  腰かけていた石はやはり跡形もなく、柔らかな草が敷かれていた平地は、無残にも土がめくれ上がっている。舞い上がった砂と埃が、風にのって周囲を漂っていた。 「しぬ……。死ぬかと、思った……」 「へったくそな芝居の上、どっからどう見ても旅先から帰ってきたヤツの恰好じゃねぇしなぁ……」 「そ、そんなに下手だったか……。いや、それより……! そう思っていたなら言ってくれ!」 「いいから、ほら。始めっからやり直しだ」 「いたっ……!」  どさりと、何かが落ちる音がした。  聞き覚えのある声がした方へ、シオンは急いで目を凝らす。石の残骸からだいぶ離れた場所で、少女が腰を擦っている。金髪のおさげに、小柄で端麗な容姿。確かにアーネスだ。  そして彼女の隣には、屈強な男が立っている。スフェノスも長身であるが、男はそれ以上だろう。城門に控える兵士たちと似た、黒い衣装に身を包み、深緑の外套が風に翻る。アーネスが並べば親子にも見えた。浅黒い肌と、後ろへ撫でつけた灰色の頭髪が目につく。一対の碧眼は深い翠を湛え、まるでガラス玉か、宝石のようだ。  男は呆れた様子でアーネスを見下ろしていたが、シオンに気付くと口の端を持ち上げる。 「心配すんな、嬢ちゃん。ちんちくりんならアンタよりよっぽど元気だぞ」 「その呼び方は止めろと言っているだろう、ジェドネフ!」  立ち上がったアーネスは男を叱責する。ジェドネフと呼ばれた男は鼻で笑い、彼女を軽くあしらった。  アーネスは憤慨しながらも、まとっていたほつれたローブを翻す。次の瞬間には、彼女の姿は様変わりしていた。と言っても、顔立ちや身長はそのまま。腰まであったおさげ髪は肩まで短くなり、着衣までもジェドネフと同じく黒を基調とした一式に変わる。ローブから変化した緑の外套には、金の刺繍が所々に施されていた。  深く呼吸を繰り返した後、アーネスはシオンへと向きなおる。手をあてた彼女のその胸には、深緑の宝石が力強く輝いていた。 「改めて名乗ろう。僕はアルデラン王国、華族第2階位。アーネス家当主、アーネスだ。今回、君とスフェノスの保護をラドラドル石、及び魔術師協会から任されている。騙すような形での挨拶になってしまって、たいへん申し訳ない。仕方がなかったとは言え、まず謝罪しよう」  可愛らしい容姿に反して、芯の通ったしっかりとした口調と声音だ。アーネスはシオンに頭を下げる。  シオンはどうして良いか、分からなかった。彼女の口にした単語のほとんどが、今のシオンには理解できないものだ。それ以前に、全身の力が抜けて足にも力が入らない。 「私を、保護……?」  保護となれば、誰かが自分を探していると言うことになる。身内か、はたまた親しい友人か。そういった存在は未だ聞かされていない。  今一つの反応に、アーネスは視線をシオンの後ろへと向けた。 「本当に彼女は何も知らないのだね、スフェノス。主として連れ出したにも関わらず、彼女にも君の目的を隠しているのかい?」 「…………」  シオンはスフェノスを見た。彼は目を細めるだけで、アーネスへ剣の切っ先を向けたまま。動こうとはしない。  アーネスは悩ましげに眉を下げた。 「契約には魔術師協会を通してもらわないと面倒ごとになる。君も分かっているはずだ」 「君たちには関係ない。これ以上、僕らに関わるな」 「そうはいかない。君は長いこと主を選ばなかったのに、今になって彼女を選んだ。元老院が彼女を放っておくわけないだろう。せめて何らかの理由をこじつけておかないと、後々困るのは君とシオンだ」 「今ならまだ俺とアーネスで口を利いてやる。早い内に自分から顔見せに行かねぇと、耄碌(もうろく)どもがおかんむりだぜ」 「僕は魔術師が嫌いだ。君たちの手を借りる気はない」  スフェノスの声はジェドネフに対しても憮然としていた。彼の返答に、ジェドネフはしたり顔でわざとらしく頷く。 「俺もお前さんくらいの時は常々そう思ったモンだ」 「ジェドネフ。話しをひっ掻き回すな」  スフェノスの周囲に風が巻き上がる。ジェドネフがさらに口笛を吹いて茶化すと、慌ててアーネスが彼らの間に入った。  彼女は長く息を吐き出す。 「頼むよ、スフェノス……。残念ながら、君の力は今や君だけのものではない。君の選択が一国を揺るがしてしまう。彼女が君の主に相応しいか、形だけでも吟味する場は設けないと……」 「僕の主は僕が決める。誰に何と言われようと、僕の主はシオンだ」 「君がいくら他者との関わり合いを拒んだところで、逃げようがない。そのツケは君だけでなく彼女に回ってくる。彼女のためにも一度冷静になって、僕たちの話しを聞いてくれ」  アーネスは一歩踏み出し、今度はシオンへ手を差し出した。訳も分からず彼らの話しを聞いていた足が無意識に後ずさる。 「シオン。君の意見も聞かせてくれ。いや、君の置かされている状況は僕も分かっているつもりだ。今ここで何が起こっているかすら、君には分かっていないのだろう。先ほどの君の反応で、確信も持てた。君に非がないことは明白だ。けれど、事が拗れてきてしまっていて……」  アーネスはそこで不意に言葉を切った。彼女は地面を蹴ったかと思えば、シオンの腕を引き寄せ、自身の後ろへと引きずり込む。とっさの出来事で、シオンは勢いに負けて地面に転がる。柔らかな芝生が彼女の体を受け止めた。  シオンが目を回す前に、スフェノスは異変に気付いていたらしい。振り向いた彼を、突如として現れた炎が襲う。炎は瞬く間に彼を呑み込み、周辺ごと焼け野原へと変えた。煌々と燃え広がる炎は熱風を生み出し、火の粉を辺りへまき散らす。 「ああ……。何てことだ……」  火が爆ぜ、熱風が肌を舐める。  背中越しにアーネスの嘆きが聞こえてきた。目の前には炎の柱が立ち上っている。多くの兵士が旗に燃え移った火を消そうと、辺りを走り回っていた。
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