10.急転直火

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10.急転直火

 シオンは踊る火の粉を目で追い、ふらふらと立ち上がる。気付いたアーネスが彼女の腕を掴んで引き留めた。 「いま近づくのは危険だ……!」 「でも……! でも、スフェノスが……!」 「駄目なものは駄目だ! 君はどう見ても魔術師じゃないだろう!」 「放ってはおけませんんっ!」 「駄目だって言っているだろぉっ!」  このままここで眺めている場合ではない。  シオンは足に力を入れて進もうとした。アーネスは意地でも離す気が無いようで、シオンにずるずると引きずられていく。  そんな2人の襟首を、ジェドネフが横から軽々と持ち上げた。圧倒的な身長差に、両足が地面から離れる。  驚いたシオンはアーネスと2人、じたばたと宙で足掻いた。 「落ち着け嬢ちゃん。話しを聞いてからでも遅くはねぇよ」 「お、おろして下さい……!」 「どうして僕まで……!」 「ハイハイ」 「うっ……?!」 「うわっ……!」  そして2人して悲鳴を上げ、地面に伸びる。下が柔らかな草地で幸いであった。横でアーネスがまた腰を擦っている。  ジェドネフはやれやれと腰に手をあて、大地を赤く舐める炎に息をつく。 「スフェノスは傾玉の中でも戦闘に特化してる。なら、三流魔術師のぬるい火なんざ、焼け石に水だろうよ」 「けーぎょく……?」  またもや知らない単語の出現。口にしてみても、全くしっくりこない。  一方。アーネスはその横に座り込み項垂れている。 「全くだ……。これでスフェノスの機嫌を完全に損ねてしまった……。なんてことだ……。僕の苦労が…………」 「いいからとっとと立て、ちんちくりん。アイツ、怒り狂ってるに違いねぇぞ」 「そ、そうだ……。ここでスフェノスと彼女を戦わせたら、火の海になってしまうじゃないか……!」  アーネスが立ち上がる間にも、炎は広がる。収まらない勢いに、消火活動を進めている兵士たちは慌てふためく。アーネスの顔も、負けず劣らず真っ青だ。  そんな煉獄のような光景に、高らかな笑い声が響く。 「なんと無様な姿でしょう、アーネス! 主のいない傾玉ひとつに、ジェドネフ石を伴っていながらこの醜態! 華族の名が泣きましてよ!」 「…………」  シオンの横で、青いアーネスの表情に険しさが加わった。  笑い声は一度、ぴたりと途切れる。そうして、アーネスとシオンの前に文字通り人が降ってきた。紅蓮のごとく真っ赤なドレスが翻り、白金の巻き髪が熱い風になびく。相対するかのような蒼い瞳でさえ、冷ややかな印象は欠片も持てない。  颯爽と現れた同い歳ほどの人物に、開いた口が塞がらないシオン。アーネスは顔を覆い、誰に対してか謝罪を繰り返していた。 「フルゴラ様の到着を待つまでもありませんわ! 時代に忘れ去られた傾玉の1つや2つ、私のクルスタ石で手籠めにして差し上げましてよ!」 「リアトリス……。君はスフェノス石の概要をキチンと予習して来たのかい……?」  アーネスの声音は、今までと打って変わって弱々しい。対して、リアトリスは自身のドレスを軽く手で調え、はつらつと答えた。 「私の目で見たモノだけが真実です。千年前の備忘録などアテになりませんわ」 「申し訳ありません。アーネス。私も止めようと努めたのですが」  真っ赤なドレスの横に、さらに音もなく人影が現れた。夕暮れだと言うのに、その女は目に眩しい。白銀の髪は風とは関係なく揺らめいている。白く華奢な体は、純白の布に覆われていた。その異様な雰囲気はスフェノスに近しい。そんな彼女は、誇らしげに胸を張るリアトリスの隣で深々と頭を下げる。  色んな意味で、シオンは彼女らに目を奪われていた。  この騒がしい一団は、一体全体、ここへ何をしにきたのだ。  シオンが混乱をきたしていると、視界に広がっていた炎の波が大きく収縮する。一閃によって、残り火ひとつ逃さず炎は薙ぎ払われた。火の粉の残り香が、横薙ぎに漂う。 「まあ! 私の炎を無傷で払うとはなんと生意気な! 気品ある容姿もさることながら、もっと従順であれば私の石としても相応しいと言うのに……」 「リアトリス。これ以上、スフェノスの逆鱗に触れる発言はお控えなさい」  何やら悔しがるリアトリスにクルスタが苦言を呈している。  シオンはとりあえず胸を撫で下ろした。焼野原に立つ人影はどこも変わりない。火傷どころか、彼の着衣がこげた後すら見当たらなかった。シオンは膝から崩れ落ちる。  その前方に、ジェドネフとアーネスが立ち塞がってしまった。足に力が入らず、やむなくシオンは身を乗り出し、様子を覗き込んだ。  剣呑な表情も変わっていない。スフェノスは鋭利な目で、屈強なジェドネフと、白いクルスタの姿を見据えている。別人のような気迫に、シオンは息を呑んだ。 「シオン」  しかし、これまでと変わらない穏やかな声にシオンは目を瞬く。  スフェノスは剣を下げた。白刃は光り輝く粒子となって、彼の手から形を消す。  驚くほど静かな碧眼と合い、言葉が喉で詰まった。 「僕を待っていて。必ず、君を迎えに行くよ」 「待って、スフェノス……」  手を伸ばしかけるも、スフェノスは彼女へ背を向けた。そして自身も、手にしていた白刃と同じくして霧散する。彼の軌跡も、焼かれて渇いた風にかき消された。  行き場のなくなった言葉は、喉の奥へとしまい込むしかない。シオンはうつむく。  色々なものがない交ぜになって、裾を強く握り締めた。  城門前の景色は今や一変している。誰もいなくなった灰の大地を見つめ、アーネスが肩を落とす。 「まずい……。これは、まずい……。フルゴラになんて報告すればいいんだ……」 「弱音を吐いている場合ではありません。このまま追いかけますわよ」 「困ったじゃじゃ馬娘だな……」  一人、リアトリスだけは意気揚々と意気込みを述べていた。  ジェドネフの悪態がシオンの耳にも届く。  クルスタも目を伏せたまま、頭を振った。 「リアトリス。私の性能ではスフェノスにとても及びません。戦闘面においては、ジェドネフでもスフェノスを上回るのは困難かと思われます」 「最高位であるジェドネフ石をもってしても、アレを取り押さえるのは難しいと?」 「何度も言ったはずですよ。彼女のことは、アーネスとジェドネフに任せなさいと」  視線を感じてシオンが見上げると、物憂げな目と交わった。彼女の瞳はその髪と同じく銀色に輝いている。その神秘的な輝きが、ただの人のものであるとは考えにくい。  冷静なクルスタに反して、リアトリスは力強く手を握り締めた。 「いいえ! なおさら引けませんわ! 是非とも私の傾玉に、ではなくて……。そんな石を、このような下等階級と、仮であっても契約させるなど! 断じてなりません!」 「私……?」  不意に指さされたシオンは思わず目を瞬く。  ここまできて無関係だとは言い張れないが、話しの内容は相変わらず訳が分からない。  アーネスが首を横へ振り、リアトリスをなだめる。 「彼女を責めてもお互いに利益はない。スフェノスは彼女をつれ戻しにくる。僕たちは準備を整えて彼を待とう」 「私のクルスタ石と、あなたのジェドネフ石が待ち構えていると分かっていて、スフェノス石が戻って来ると?」 「来るだろうね。己の主人にそう告げたからには」  アーネスは今一度、シオンへ手を差し出した。差し出された柔らかな手の平を、シオンは呆然と見つめる。  自分はこの後、どうすれば良いのか。彼は「待っていて」と言ったが、いつまで待てばいいのだろうか。そもそも、信じるべき言葉は彼なのか、それとも彼女なのか。  シオンは口を引き結び、自分の手で体を起こした。
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