11.傾玉

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11.傾玉

 結局、城下に立ち入ることは叶わなかった。  シオンが連れられて来たその屋敷は、街を囲う石壁が遠くに見える、小高い丘に建っていた。すでに日が山裾に隠れているにも関わらず、小鳥のさえずりが聞こえている。手入れが行き届いた生け垣と庭には、色鮮やかな花が咲き乱れる。  緑の三角屋根や黒い石を基調とする造りは、城下のものと似ていた。室内にも緑の絨毯が敷かれ、壁や天井など、至るところに金の雄牛の紋章がある。目の前のテーブルも、出されたティーカップも、座っているソファも。形状、装飾からして、自分の格好は場違いだ。  さらに居心地の悪さに拍車をかけているのが、隣へ腰を下ろしたリアトリスである。足もとから頭のてっぺんまで、視線が刺さる。言いたいことがあるのなら口にして欲しいとも思うのだが、恐らく、何を言われても理解するのは難しいだろう。  肩身を狭くしているシオンの向かいに、ようやくアーネスが腰を下ろしてくれた。  手を付けられていないティーカップに気付いた彼女は苦笑する。 「君の心境を一言で表すなら、何が起きているのか、見当もつかない。かな」 「…………」 「まあ。なんて白々しい」 「リアトリス。頼むから、少し、黙っていてくれ」  ぎこちなく頷くシオンにリアトリスが身を乗り出す。アーネスに手で制されると、彼女は不満そうに姿勢を正し、自身のティーカップへと手を伸ばした。  シオンも自身の前に出されていた同じ物を見下ろす。透き通った琥珀色が、白いカップの中で自身の顔を映している。テーブルの中央には様々な形をした焼き菓子が並んでいた。 「君の置かれた状況を説明する前に、まずはスフェノスについて……。いや、傾玉(けいぎょく)について話しをしよう」 「けいぎょく……?」  先ほども耳にした単語だ。シオンが反復すると、頷いたアーネスは誰もいないはずの傍らへ声をかける。 「ジェドネフ。シオンに挨拶を」  気だるげな声が応えたかと思えば、そこへ先ほどの男、ジェドネフが現れた。影も形もなかったはずの彼に、シオンは目を瞬く。  彼女の反応に機嫌を良くしたのか。ジェドネフはやけに仰々しくシオンへ頭を下げた。 「改めて、お初にお目にかかれる。我が(めい)はジェドネフ。極地の魔術師、シュティアの最高傑作にして、偉大なる大地の愛息子なり。……ってな」 「は、はぁ…………。私はシオンと、言います……」 「茶化すんじゃない。彼女が困っているだろう」  慌てて頭を下げるシオンの反応に、アーネスが息をつく。 「彼は君といたスフェノスと同様に、僕たちが傾玉と呼んでいる存在だ。国を傾ける玉、宝石と呼ばれる、石の精霊のようなものだと思ってほしい」 「国を傾ける、玉……? 精霊……? スフェノスは、人じゃない……?」 「ああ。そうだよ」  息を呑むシオン。対して、アーネスのあっさりとした返答が、余計に現実味を遠ざけた。  彼は人並み外れた、見目麗しい外見ではあったが、その言動や触れた体は確かに人間のものに思えた。掴んだ手が常に冷たかったのは、そのためなのだろうか。  アーネスの指が、自身の胸元を飾るブローチへと触れる。ブローチには、大粒の碧玉が金装飾に彩られて輝いていた。細やかな金細工もさることながら、主役である翠の石は自然とシオンの目を引き付ける。 「彼らは自身が宿っている魔石と、意思の塊である霊体とで形成されている。傾玉は本体である魔石と、魔力を供給している契約主から離れることはできないのだけど、君と仮契約していたスフェノスはいささか特殊にできていて」 「アーネス。嬢ちゃんは魔術師じゃねぇだろ」 「あ。すまない……。そうか、もっと基本から始めないといけないのか……」  表情が険しくなるシオンを見かね、ジェドネフの助け舟が入った。  彼はシオンへ気さくに笑う。   「そもそも、嬢ちゃんは魔術や魔力がどういうものか分かってるか?」 「えっと……。たしか、スフェノスが、世の理……? 世界そのもの……? の末端を、自分の力にして、利用することを、魔術と呼ぶとか、なんとか……」 「まあ、だいたいそんな感じだ。魔力って言うより、嬢ちゃんには生命力、と言い換えた方が分かりやすいか?」  ジェドネフは指を鳴らす。すると、部屋の明かりが一斉に落ちて、シオンは体を竦めた。  窓から差し込む夕日は弱々しく、辛うじて向かいのアーネスの顔が見えている。横からリアトリスが愚痴をこぼしているのが聞こえた。 「そう難しく考えなくていい。俺たちはその、魔力の結晶だ。例えるなら、この照明」  暗闇の中で、彼の瞳は一段と輝いて見えた。引き寄せられるなんて表現では生温い。吸い込まれてしまいそうだ。 「照明には火種と、それを維持し続けるために作られた入れ物がある。このふたつのどちらかがダメになれば、照明として機能しなくなるだろ? 火種が消えれば、この通り。ただの置物だ」  軽快な指の音が部屋に鳴り響く。すると、部屋の照明が再び室内を照らした。 「逆に入れ物が壊れても、中の火は遅かれ早かれ消える」  それも束の間。さらに小気味良い音が続き、部屋の四方から何かが割れる音が重なった。照明の火は途端に消え去る。 「さらに安定して燃えるためには、油を定期的に差したりだとか、整備する必要があるのさ」  最後にふたつ、ジェドネフは慣れた様子で指を鳴らす。シオンが明るくなった室内を見回すと、部屋の照明は何事も無かったかのように燃えている。  向かいに座っているアーネスは足を組み、静かに紅茶を啜っていた。  ジェドネフは彼女の胸に輝くブローチを示す。 「要約すると、火種は魔力。嬢ちゃんが見ている、俺のこの姿を動かすためのモノ。それを保ち続ける入れ物が、その胸飾り。火を絶やさずに整備する持ち主が、アーネスだ」  シオンは視線を落とし、ジェドネフの例え話をゆっくりとかみ砕く。 「ジェドネフさんの実際の体はそちらの宝石だけど、私の目の前にいるジェドネフさんは、魔力によって見えている姿で……。私とこうして話すためにはアーネスさんの手助けがいる、ということでしょうか……?」 「嬢ちゃんは魔術師じゃねぇし、漠然とそんなモンだと思っていてくれ」  ジェドネフはソファの背もたれに腰かけ、腕を組んだ。アーネスが怪訝そうに睨んで横へとずれる。 「俺たち傾玉には、定期的に魔力という油を差す使い手、契約主が必要になってくる。俺たちは契約主から少しばかり魔力を供給してもらうことによって、霊体でありながら、こうしてあたかも人間のように振る舞えるわけだ。逆に言えば、契約主が見つからねぇ場合。自我を保つ魔力が足りず、俺たちは消える」 「契約、主……」 「俺の契約主サマはアーネスだ。こいつから魔力の供給を断たれる。もしくは死んでその後に主サマが決まらなければ、もれなく俺は消滅する。嬢ちゃんも、スフェノスに主だ、ご主人様だと呼ばれなかったか?」 「あるじ……」  シオンは目覚めた日の出来事を思い出した。  膝を折り、頭を垂れ、指先へ口づけ、誓いの言葉を告げる。  いま考えても、口に出すのも憚られるが、彼にとって、あの言葉は大真面目だったのだろうか。 「我が主って……そういう……?」 「嬢ちゃんが今回、なぜこんな騒動に巻き込まれてンのかと言うとな。俺たちの契約主を決める際。魔術師協会っつー組織が、契約主を決めるまでの手順を定めてやがる。それをアイツが守らず、勝手に嬢ちゃんを契約主に迎えようとしてるからだ。また困った弟分がいたモンだな」  ジェドネフはやれやれと肩を竦めている。彼は大袈裟にため息までついて見せているが、シオンの目にはどうにも困った様子には見えない。  むしろ、深刻な面持ちをしているのは隣のアーネスだろう。軽薄なジェドネフのため息とは違い、彼女のそれは実に重々しい。 「傾玉は希少な存在でね。強力な魔術も、傾玉がいれば簡単に行使できる。傾玉の扱いが強いしがらみに縛られているのも、そのせいだ。だからもし、君がスフェノスと契約を交わす気があるのなら、だけど……。魔術師協会の規定に従って、まず君がどこでスフェノスと出会って、どうして彼に契約を申し込まれたのかを調査、審査しなきゃならないんだよ」 「どこで、スフェノスと、出会って……」  シオンははたと、重大なことを思い出した。忘れるほど様々な事態がひっきりなしに起こったせいで、すっかり頭から抜けていたのだ。事は自分が自覚しているよりも悪い方向に向かっているかもしれない。  シオンはアーネスを見返す。切迫した表情で見つめられ、アーネスもカップへ伸ばしかけていた手を止める。 「何かまずいことがあったのかい?」 「分からないです」 「何が?」 「スフェノスと、どこで初めて会ったのか、分かりません」 「……え?」    アーネスの表情は驚きを通り越して困惑に近い。  シオンはどうしたものかと唸る。彼女たちはこちらが記憶を失っていることに関しては承知していないらしい。けれども、説明しようがない。何も覚えていないのだから。昨日から先は、どう頑張っても、何も思い出せないのだ。 「昨日の朝に宿屋で目覚めてから前の記憶がなくて……。その場でスフェノスが看病をしてくれていたので、この人はきっと知り合いなんだろうなぁ、と……。成り行きでここまで……」 「はあ? なんだそりゃあ……」 「もしかして、シオンって名前も?」 「スフェノスがそう呼ぶ、ので……」  沈黙。  気まずい空気だ。アーネスが眉間に手を当て、考え込んでいる。にわかには信じがたい話しだろう。何せ自分も半ば悪い夢を見ている気分だ。  そこへ、テーブルに手をついた音が響き渡る。ティーカップがソーサーの上で跳ねた。 「もう我慢の限界ですわ! あなた!」
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