11.傾玉

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「え? えーっと……」  沈黙を破ったのは、それまでアーネスの言う通りに口を挟まず、紅茶を堪能していたリアトリスだった。  彼女は立ち上がり、シオンを指さして憤慨している。立ち上がる彼女の勢いにシオンはソファの隅までたじろいだ。 「私はリアトリスです! ディケ公国、華族第1階位! エドアール家当主代理、『業火の魔術師』とは私のこと!」 「豪華な、魔術師……なるほど……」  リアトリスの長い巻き毛と、赤い豪奢なドレスを改めて、シオンは納得した。  意思疎通のズレに気付き咳払いするアーネスを、ジェドネフが小突いて黙らせる。 「そう都合よく記憶喪失になどなるものですか! それに、記憶喪失にしてはスフェノス石とも仲は良好に見えましたわ。アレは千年近く主を選ばなかった変わり種。たぶらかしたのはスフェノスではなくて、あなたではありませんの?」 「スフェノスから、嵐に巻き込まれて、その影響で記憶や知識に障害があるんだろうって、言われたとしか……」 「嵐……。歪み、のことでしょうか」  音もなく現れた白い手が、リアトリスの肩を軽く叩いてなだめる。彼女の後ろに現れたクルスタは淡々と続けた。 「3日ほど前『時空の歪み』がアテラス大陸北部に観測されていました。一般人である彼女が巻き込まれたのでしたら、健全な状態でここにいるのが奇跡です。スフェノスが何かしらの施しを彼女に行い、一命を取り止めた。となれば、辻褄は十分に合いますが」 「ああ、それなら僕も覚えているよ。アルデランも影響圏内だったから、ジェドネフに報告させていた、けど……」  アーネスが口元に手を当て、首を傾げているシオンへ目配せした。 「このアテラス大陸は豊かな魔力に溢れている。同じ場所に魔力が溜まり過ぎると、川のように氾濫を起こし、中心地から辺り一帯の空間が不安定になってしまうんだ。そこへ生物が巻き込まれると捻じれた空間の負荷に耐えられず、心身に影響が出る。君みたいな記憶喪失も前例があってね。この魔力の氾濫現象を、魔術師の間では『時空の歪み』や『歪み』と呼んでいるんだよ」 「そう、なんですか……?」  言っている意味が壮大過ぎて何とも理解しがたいが、要は自身が想像していた大雨や強風とは別次元の災害のようだ。  だとすれば、スフェノスは隠し事をしてはいるが、嘘はついていないのだろうか。少しだけ胸のわだかまりが溶けた気がして、布越しにペンダントへ触れた。  最も、根本的な解決はしていない。  リアトリスはなおも、収まりがつかないようだ。クルスタの腕を振り払い、リアトリスは頭を振る。 「何にしても! 下層階級! それも魔術の基礎どころか傾玉の存在すら知らない平民に傾玉の主など任せられませんわ!」 「リアトリス。今の話しが真実であれば、シオン様は魔術に関する記憶が失われているだけの可能性も……」 「お黙りなさい、クルスタ! 所作からして、平民であることは明白です! 傾玉の主は魔術師協会から選ばれた者であらねばなりません! スフェノス石がいかにこの小娘を選ぼうと、魔術師協会が許しませんことよ!」  リアトリスの言葉にシオンはむ、と口を引き結んだ。  同じ歳ほどだと言うのに、随分な言いようである。だいたい、彼女の話しには納得がいかない。  無意識に膝の上で両手を握りしめていた。 「スフェノスのご主人様を、どうしてスフェノス以外の人が決めているんですか?」 「傾玉に主の決定権はありません。彼らはあくまで、建世(けんせい)の魔術師たちが使い魔として作り出した、擬似的な生命体。魔術師のしもべ。つまりは、その扱いも、私たち魔術師の法に乗っ取るべきではありませんこと?」  リアトリスはシオンの言葉を鼻であしらった。その横で、アーネスは苦い顔をしている。  彼女の言葉を聞き、シオンはスフェノスの言動を思い起こした。  暴漢に「魔術師か?」と問われた際。彼は棘のある物言いをしていた。もしや彼が自分を選んだ原因はコレなのだろうか。  シオンは胸元をおさえた。服の上からでも、石の冷たさを感じる。 「スフェノスは、右も左も分からない私を助けてくれました。隠し事をされて、ちょっと、いえ……。だいぶ困っていますけど……。そうだとしても、それは変わらないです」  シオンは目を伏せ、初めて名前を呼んだ時の、じっくりと融けていく碧眼を思い出す。  あれは本当に、とても嬉しそうだった。  全ては推測の域を出ない。自分が語れる事実は少ない。  シオンは悩んだ。 「それに……スフェノスとは、友だちから始める約束をしてしまいました。なので、彼の言い分を聞く前から、友だちを悪く言うような人たちに協力はできません」  先ほどとは違う沈黙が訪れた。一同がシオンを見下ろして目を瞬いている。  難とかこの場を誤魔化して彼と話す機会を得たいと思っての苦しい言い訳だが、悪手だったろうか?  シオンは恐る恐る顔を上げる。そこには顔を真っ赤にしたリアトリスと、開いた口のふさがらないアーネスいた。  ジェドネフだけが一人、笑いをかみ殺している。彼はアーネスにすら何も告げず、その場から姿を消した。
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