14.馬車に揺られて

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14.馬車に揺られて

 シオンは目を擦り、大きく上へ伸びた。日は地平線から昇ったばかりで室内はやや薄暗い。鏡の前でくるりと回り、用意された着替えを眺めた。  使用人に慣れないコルセットからブーツまで着せてもらったは良いものの、今度は1人で脱げるだろうか。日常生活にまで支障をきたす記憶の欠如は、実に困ったものだ。  最後にペンダントと古びた地図を服の下へ隠して部屋を出る。  部屋の外では、すでにアーネスが待っていた。彼女と短く挨拶を交わし、早々に玄関へと連れて行かれた。 「早朝からすまないね、シオン」 「いえ……。むしろ、ベッドから着替え、朝ごはんまで用意していただいて、ありがとうございます……」 「僕にはこれくらいしか、君にしてあげられないから」  自嘲気味にアーネスは笑った。リアトリスとは対照的に、彼女はシオンに対してやけに寛容だ。何か考えがあってのことだろうが、いがみ合うよりはずっと良い。  さえざえとした空気に包まれ、門前に一台の馬車が待機している。スフェノスと乗った荷車とは大違いだ。繋げられている4頭の馬も一回りは大きく、石畳を蹄で何となしに蹴っている。  真っ黒な馬車をシオンがしげしげと眺めていると、馬車の扉が1人でに開く。アーネスに譲られ馬車へ乗り込むと、刺々しい視線がジトリとこちらに向いた。 「遅いですわよ。フルゴラ様や元老院の方々を待たせる気ですの?」 「待ち合わせは日が暮れてからだし、君が同じ馬車に乗る必要もないはずだよ、リアトリス。昨日、別の馬車を用意すると言っただろう?」  シオンはリアトリスの向かいに、肩を竦めたアーネスも彼女の隣へと腰を下ろした。  リアトリスは昨日とまた違う、赤いドレスを身にまとっている。今日は巻き毛を止めている髪飾りまでも赤い。首元のチョーカーだけが透明な輝きを放っている。黒い馬車の中で、彼女の周りだけが華やかだ。 「妙な気を起こされぬよう、見張りが必要でしょう?」 「いくら僕でも、フルゴラを敵に回すようなマネはしないさ」  扉が閉まり、窓から見える景色が流れ出した。蹄の音は次第に早まる。  窓の外ではうっすらと朝もやが広がっており、静けさが耳うつ。馬車の中は不思議と温かく、先ほどまでの肌寒さが嘘のようだ。 「どこへ向かっているんですか?」 「ディケとアルデランの国境に在る、魔術師の集会場だ」 「あんまり良いお話しではなさそうですね……」 「すまない……。昨夜、この件は任せて欲しいと頼んでみたけれど、僕の力不足で……」 「スフェノス石が未だ自身の持ち場に戻る気がないのです。魔術師協会が手を引くはずがありませんことよ。傾玉が主を決めるのであれば、相応の契約主であって然るべきですわ」 「…………」  シオンはぐっと言葉を呑み込み、アーネスに向きなおる。 「その、傾玉との契約って、具体的にどういうことを……?」 「契約の儀だけに関して言えば、特別な儀式は不要だ。基本的には口頭だけの契りで問題ない。もちろん、お互いの了承を前提としてね。ただ、僕の所感だと君はスフェノスとまだ本格的な契約を交わしていないみたいだ。だから仮契約と呼ばれる、契約主が彼らの恩恵を授かる前段階ではないかな」  アーネスは手を伸ばし、馬車のカーテンを閉めた。薄暗くなった中で、アーネスの胸に光るブローチが輝いて見える。 「基本的には……? 断られることもあるんですね?」 「そこが傾玉と、一般的な使い魔との違いだ。彼らは何でも首を縦に振ってくれる下位の使い魔と違って、あの通り。強い自我と、自分で思考し、行動できるだけの力が備わっている。そこが傾玉の強みでもあり、欠点でもあるけどね」  アーネスは足を組んでため息をつく。ちらりと、視線を己の胸元で輝いている胸飾りへと落とした。歯切れが悪く、語尾に進むにつれ声が小さくなる。 「まあ、例えば……僕の保有するジェドネフ。彼は最初期に創られた傾玉の一つで……。作者であり、最初の保有者であるシュティア公は、建世の魔術師たちの中でも特に優れていたとされている魔術師だ。性能面も、現存する傾玉でも最高位だと、言うことに、なっている……」 「あんまり、嬉しそうじゃないですけど……」 「実際問題……。従者なんて名ばかりだ……。従者、様って感じかな……。少なくとも、僕の常識にある従者は、主である僕のことを『ちんちくりん』とは呼ばないし、僕の客人を勝手に門前払いしないし、僕の書いた報告書を勝手に書き換えたりしないし……。うるさいぞ、ジェドネフ。僕は事実を言っているだけじゃないか」 「意外に大人げない……」  シオンは昨夜のジェドネフの様子を思い起こしてみる。皮肉は口にしても、そんなことをする男には見えなかったのだが、彼らも人間と同じく見かけにはよらないようだ。スフェノスも麗しい容姿や柔らかな物腰と裏腹、ひとたびスイッチが入ると過激な言動であった。そう考えると、人間ではないと聞けば聞くほど疑わしい。  アーネスは見えないジェドネフに向かい、何やら文句を連ねている。それを見ていたリアトリスが鼻で笑い、なぜか胸を張る。 「傾玉に侮られる主に非があるのですわ、アーネス。私のようにしっかりと手綱を握っていれば、そのような無様など有り得ません」 「その程度の理由だったなら、むしろ喜ばしいくらいだ……」  アーネスのぼやきが僅かにシオンの耳にも届いた。 「ジェドネフは俗に言う、強い傾玉の分類だ。優れた魔術師にはこれ以上ない、信頼できる相棒になる。裏を返せば、僕みたいな若輩の魔術師が無理に扱うと、こうして、彼らのいいオモチャだ。傾玉の意思を一切無視した契約、命令を行使しようものなら、彼らも黙ってはいない。主従の契りを交わした後であっても、死なば諸とも、なんて十分あり得る。仲介役である魔術師協会を通すのはそのためでもあるね」 「傾玉はどうしても、主がいないと消えてしまうんですか?」 「ああ。主の不在が続けば、傾玉は実体化のための特別な魔力が生成できず、枯渇して消えてしまうらしい。彼らは一度消えると完全に消滅してしまう。だから、傾玉を管理している僕ら、魔術師としては嫌でも主を選んで欲しい。でも、野心に燃えている人間の手に渡りでもして、千年前の大戦時代に戻りでもしたら、笑いごとでは済まされない」  アーネスは言葉を切り、背もたれに体重を預けた。声にため息が混じっている。 「そう言った最悪の事態を避けるためにも、契約主の選抜は慎重に。と言うのが、魔術師協会の建て前だ。本音は、自分が傾玉の主になりたいだけのじい様も、少なくない。ここが、僕としては情けない話しでね……」 「ええ、全く。身のほどをわきまえない欲深な輩を、同胞とは思いたくありませんわ」 「彼らも君には言われたくないだろうな……」  アーネスのリアトリスを見る目は冷ややかだ。思うところがあるらしい。  シオンは頭を悩ませていた。疑問がひとつ解決したところで、また次の疑問が出てくる。   「例え、その契約を結んだとして……。私は魔術師じゃないのに、スフェノスは大丈夫なんですか……?」 「彼らが実体化できているのは、特別な術式によるものらしくて、それに必要な魔力は、契約主との『繋がり』だと言われている。個体差もあるんだけど、契約主の魔力の保有量は、そこまで傾玉の能力に差し支えないんだ」 「繋がり?」 「そう……。とても興味深い術式だ。契約主との『繋がり』を魔力に変換して、彼らは生物を模した実体を得ているらしい」  アーネスは腕を組み、深く頷いた。向かいではリアトリスが誇らしげに自身の首元にある無色透明な輝きへ触れる。 「傾玉の作り手であられた『建世の魔術師』たちは便宜上、魔術師の括りですが、実際はさらにその上。奇跡使いと呼ばれた、神代の血を引く方々です。私たちでは考えの及ばぬ領域に至っての施しなのでしょう」 「おかげでこれまでにも、君と同じように魔術師でない人間が契約主に選ばれた時代も、なくはない。けれどね……」  アーネスは明るかった表情に影を落とす。 「先も言った通り。傾玉との契約はその主に大きな力をもたらす。魔術師だけじゃない。様々な人間が、喉から手が出るほど欲しい代物なんだ。だから、自分の身を守れない一般人が傾玉と契約を交わしてしまうと、それまで通りの生活は、まず諦めないといけない」  アーネスの言わんとするところを察し、シオンは生唾を呑んだ。残念ながら彼女の懸念を汲み取れないほど鈍感ではなかった。それくらい逞しい精神であれば、気は楽だったのだろうが。  リアトリスの冷ややかな視線も、それ故なのだろう。しかし、その後に続くアーネスの声音は和らいでいた。 「これから行く場所で、君は似たような脅しを、飽きるほど聞かされるだろう。そして、それらは脅しでは終わらない。僕からも推奨できる選択肢ではない。それでも、スフェノスの願いを君が受け入れると言うのなら、僕は君を応援するよ。傾玉に選ばれてしまった大変さは、僕も知っているからね」 「……アーネスさんは、ジェドネフさんに選ばれたんですか?」 「あー……語弊があったな……。僕の場合、選ばれたとは、また違うから……」  アーネスの笑みがぎこちなくなる。彼女は咳払いをし、足を組み直した。 「何はともあれ、選ぶのは君だ、シオン。記憶のない君に決断を迫るのは、卑怯だと思うけどね」 「まだこの娘が記憶喪失だと決まったわけではありませんわ」 「君はまだシオンを疑っているのか、リアトリス……」 「記憶がない人間を主に選ぶなど、どう考えても怪しいでしょう!」  アーネスのため息に、リアトリスはむ、と口をへの字に曲げた。2人はシオンを差し置いて口論を始める。口を挟めそうにもないシオンはカーテンを少しだけ開けて外を眺めた。  朝もやは晴れ、日差しが大地に降り注いでいる。馬車の周囲は深い森に代わっていた。背の高い木々が生い茂り、一本道を進んで行く。果ての見えない道の先を見つめ、シオンは無意識に胸元の冷たい感触へ触れていた。
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