16.落ちる刃

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16.落ちる刃

「ぐ……ぅっ…………?!」 「スフェノス……!」  スフェノスの体は地面を転がっていった。固い石畳の上に赤い液体が飛び散る。  堪らず声を上げたシオンの体をジェドネフが引き留めた。 「死にはしねぇさ。言っただろう。俺たちは人間じゃねぇからな」 「でも……でも、血が……」  石畳の上に倒れ込んだスフェノスは、脇腹を押さえ、歯を食いしばる。荒い息遣いが聞こえた。  シオンは落ち着こうと胸をおさえるも、うまく呼吸ができない。 「実体化してる時の俺たちは、生物とできるだけ同じ構造を模してる。中身までな。血液やら肉片が飛び散るのは、魔力がそれっぽく変質している、とでも考えてくれ。あんま破損するとそれだけ魔力を失うことになるから、頭フッ飛ばされたりするのは勘弁だけどな」 「い、痛いんですか……?」 「俺は慣れちまったが、始めはそれなりにな。待て、待て。落ち着け、シオン」  駆け寄ろうとするも、ジェドネフの手は彼女の力では振り解けそうにない。死にはしないと聞かされても、出血がひどく、人間ならただでは済まない量だ。シオンは自身の血の気までも引いていくのを感じた。  スフェノスが上体を持ち上げ、膝をつく。石畳の隙間を自身の血で赤く埋め、彼は顔を覆った。 「ああっ……。いつも……いつもっ……。どうしてっ…………」 「嬢ちゃんがどうにかしてやろうと努力してンのに、お前が人様の話し聞かねぇからだ阿呆」  ジェドネフは冷ややかに応えて、シオンの体を後ろへと引いた。よろめく彼女の体を、アーネスの手が捕まえる。暖かいアーネスの手を握り、シオンは引きつる唇をどうにかして動かした。 「あ、アーネスさん……。まって、ください……。あそこまで、しなくても……」 「シオン。盗み聞きは悪いと思ったけど、彼は君の説得に耳を貸す様子がなかった。これでは話しをしようにも、また僕らが切りつけられるだけだ」 「…………」  アーネスはすまない、とシオンの肩を叩く。  返す言葉がない。シオンは唇を引き結ぶ。彼女の言う通り、スフェノスが耳を貸す気が無い以上、彼はまた、無理にでも自分を連れて行こうとするだろう。  ただ立ち尽くす事しかできないシオンの脇を、クルスタともう一人。クルスタと同様に銀の輝きをまとう男が横切る。  ジェドネフの隣へ並んだその男は、立ち上がったスフェノスを見下ろして口角を持ち上げた。 「こやつがラドラドルの片割れか? 随分と無様な姿よ」 「またそうやって安易に喧嘩ふっかけると頭砕かれるぞ、アダマス」 「我は事実を口にしたまで。国の調和を乱す愚か者を片割れに持つとは、ラドラドルも気の毒なことよ。なあ、クルスタ」  銀色の髪を撫でつけ、アダマスは不遜に笑う。  後ろに控えていたクルスタは頭を振り、すっと身を退いた。 「アダマス。言葉を選びなさい」  ついで、ジェドネフも無言で僅かに体を引く。  刹那。ジェドネフとアダマスの間を、見えない斬撃が走った。銀の毛先が数本、割れた地面へと落ちる。 「……仕置きが甘かったようだ。貴様のその面、我が粉微塵になるまで砕いてやろう」 「今のはどう考えたってお前が悪い」  アダマスは柳眉をつり上げた。その体から光が走る。青白いそれは不規則に屈折し、渇いた音を立てて漂っていた。  ジェドネフが肩を竦める後ろで、シオンは生唾を呑む。パチパチと点滅するその様相は、小さな雷に見えた。それを弄ぶように、アダマスは指先を滑らせる。  スフェノスは悪態とともに血の塊を地面へ吐き捨てる。 「そこを退け……。君たちに用は無い……」 「スフェノス。あなたの気持ちも分かりますが、これ以上の争いは無益です」 「君たちに、僕の気持ちが分かってたまるものか……」 「我ら3石を貴様と一緒にするでない。駄々をごね、主を困らせる赤子の時期なぞ、はるか昔に卒業したわ」 「アダマス……」  クルスタがため息をつく。スフェノスは目を細め、重心を傾ける。 「退かないなら、切り捨てるだけだ」  鋭く息を吸い込むスフェノス。後ろへ跳躍する3つの影を、斬撃が追いかけた。白い石畳が音を立てて割れる。白い彫刻は砕け、破片が辺りに散乱した。  ジェドネフがアーネスとシオンを抱え、後方へと下がる。担がれるシオンの耳に2人の会話が微かに聞き取れた。 「ジェドネフ。僕らはシオンの安全を最優先する」 「仕方ねぇなぁ……」  地面が大きく抉れ、石畳の玄関がめくれ上がる。スフェノスの視線は常にシオンの姿を視界に捉えていた。シオンの足はアーネスの手に引かれるまま、地面を蹴っていた。  後退に徹するアーネスとジェドネフの足元を狙うスフェノス。彼の斬撃は軌跡を残して行く手にあるもの全てを断つ。ジェドネフの足が止まった。大きく振りきった彼の目前がふと暗くなる。 「ディケの守護者たる我らを無視するとは、礼儀がなっておらぬ弟分よな」 「がっ…………!」  スフェノスは身を翻すも、轟音と閃光が彼を掠めた。肌が焼け、肉が焦げる。閃光が槍のごとくスフェノスの肩を穿ち、左腕は力無く垂れさがる。  足元が自身の血で滑った。柄に寄りかかり、スフェノスは競り上がる熱にむせ返った。 「次はない……。次は、絶対に、ないんだっ……!」  スフェノスは残った右腕を苛立ち気に払う。霧散したはずの白刃が、今度は無数に現れ、こちらへ切っ先を向けたまま静止した。  シオンは思わず口元をおさえていた。鼻をつく異臭の正体は明らかだった。汗が止めどなく全身を伝っていく。  様変わりした男の鬼気迫る形相にシオンは声すら出せず、アーネスの手にすがる。震えるその手を握り返し、彼女は毅然と問いかけた。 「スフェノス。話し合いの余地はないのかい」 「『ジェドネフの主』である君が、僕と話し合いだって……?」  スフェノスは滑稽だね、と低く笑った。  シオンは息が詰まった。  それは何に対しての憤りだろうか。 「僕は君たちを絶対に赦さない」  血に濡れた手で、彼は剣を取った。  アーネスは目を伏せる。 「そうか……。とても残念だよ」 「!」    指が弾かれ、軽快な音が鳴り響く。  スフェノスはとっさに横へ飛び退いた。足元の大地は瞬く間に盛り上がり、スフェノスの行く手を阻んだ。横凪ぎに払おうものなら、地についた足が地面へ沈む。  ジェドネフが加えて指を鳴らす。大きなあぎとを開いた地面が、スフェノスを頭上からばっくりとのみ込んだ。  辺りに静寂が戻った。シオンは茫然とスフェノスを呑み込んだ大地を眺める。宙に現れた無数の白刃は消えていた。規則的に敷かれていた石畳は見る影もなく、並んでそびえていた彫刻も倒れ、瓦礫の山となっている。 「逃がすなよ、アダマス」 「誰に物を申しているのだ。青二才に我が劣るなど、天が落ちるほどに有り得ぬ話しよ」 「そりゃ悪かったな」  ジェドネフは気のない声で流した。  アーネスに支えられ、シオンは難とか自身の足で立っている。彼女の背を温かい手がさすった。 「……アダマス、クルスタ。シオンは僕が連れて行く。そちらからもフルゴラとリアトリスに伝えておいてくれ」 「承知しております」 「言うに及ばず。そのつもりよ。して、それが例の娘か」  地面を見つめ、スフェノスを憂いていたシオンの視界に黒銀の瞳が拡がる。驚いてよろめく彼女を慌ててアーネスが支えた。  アダマスと呼ばれている男は、クルスタに近しい銀をまとっていた。やはり長身の男の姿を取っており、その容姿は人間離れしている。長い銀色の髪を後ろへ撫でつけ、不遜な笑みは自信に満ちあふれていた。  戸惑うシオンをしげしげと眺めた後、彼は満足そうに頷く。 「アレを憐れむのであれば相応の対価を払うのだな、娘」 「…………」    アダマスは告げて、背を向ける。クルスタがアーネスへ一礼し、2人は音もなくかき消えた。  放心状態のシオンの手を引き、アーネスは彼女に呼びかける。 「怪我は無いかい?」 「……あの、スフェノスは?」 「悪いけど魔術の檻に入っているよ。ジェドネフの力で作ったモノだから、そう簡単には壊せない。彼の負傷に関しては、君がこの敷地内に滞在していれば問題なく回復するはずだ。スフェノスの本体を預かっているだろう?」 「……!」  アーネスの胸元を見て、シオンは自身の首から下がっているペンダントを取り出す。馬車の中での話しでは、彼ら傾玉の本来の姿は宝石(コチラ)だと言う。  スフェノスから「お守り」と称され渡されたそれは小さくも相変わらず美しく輝いていた。  シオンは両手で宝石を包み込み、大きく息を吐き出す。 「……次から次に、色々なことが起きて……どうすれば良いのか…………」 「すまない。本当に大変なのはこれからだ」  アーネスに導かれ、シオンは重い足を引きずる。 「スフェノスが心配だろうけど、まずは君自身の身を守らなくては」  これ以上、何があるのだろうか。考えるだけでうなだれてしまう。  振り返った地面には、赤黒い血だまりだけが残っていた。
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