19.激情

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19.激情

 広間の中央には大きな鳥かごがある。ただし出入りをするための扉は見当たらない。その中にはスフェノスが座っていた。  手足を鎖で繋がれ、何もない宙に腰を下ろしている。漂っている、が正しいだろうか。その脇でアーネスが声をかけているが、一向に視線を合わせようとしない。 「……すごい、不機嫌そう」 「嬢ちゃん以外には大体あんな感じだぜ?」 「傷は大丈夫なんですか……?」 「アイツならあの程度、とっくに完治してるだろ」  ジェドネフの言葉にシオンは胸を撫で下ろす。大事がないと分かっただけでもありがたい。  鏡の中から声が聞こえてきて、シオンは耳を澄ませた。 「スフェノス石。そのまま何も口にしない気かね」 「随分と、ジェドネフ石の檻が気に入ったとみえる」  嘲笑交じりの声にも、スフェノスは目を閉じたまま、何も答えない。  隣でアーネスが頭を抱えている。シオンは何やらたいへん申し訳ない気分になった。  フルゴラがやはり単調に問う。 「彼女の身を案じているのでしょう、スフェノス石」 「…………」  スフェノスはようやく目を開き、フルゴラを見返した。フルゴラの隣にはぼんやりと輝く影がある。白銀に輝くその影はアダマスと思われた。 「シオンには記憶が無いそうですね。彼女の記憶喪失は、あなたの故意ではありませんか」 「僕は主に危害を加えるほど、落ちぶれていない」 「それが分かっただけでも安心しました。あなたはまだ、傾玉としての自覚はあるのですね」  何が気に障ったのか、スフェノスが眉をつり上げる。実に心臓に悪いと分かっていながら、目をそらすわけにもいかない。シオンは肩を落とす。 「では、彼女が記憶を失う前、何があって契約に至ったのですか」 「君たちに話す義理はない」 「スフェノス……。その言い方では、シオンにも非があったとみなされる可能性があるぞ……」 「……契約は僕から一方的に持ち掛けたものであって、シオンはそもそも、僕が傾玉だと知らなかった」  脇から小声でアーネスから助言され、スフェノスは不満ながらに付け加えた。シオンの隣ではそんなアーネスの奮闘ぶりを見て、ジェドネフが笑っている。 「つまり、素性を隠してあなたからシオンに接触し、何も知らない彼女へ契約を迫った。ということですね」 「…………」  この沈黙は、どう受けとるべきか。 「アイツ否定しねぇけどどうする?」 「い、いちおう、最後まで見ます……」  ジェドネフが鏡を指す。  察してはいた結果である。せめて否定をしてくれるなら、気分的にも楽になるのだが。  鏡の向こうでも、フルゴラがため息をついた。 「と、なれば……。あなたは何の非も無い一般人を巻き込んだ挙句、間接的とは言え、自身の行動により身体に傷を残した。黙って見過ごせる事態ではありません」 「僕は現状、出来うる限りの最善を尽くした。君たちからの糾弾も承知の上だ」 「あなたは彼女の素性を承知の上で秘匿し、我々から糾弾される以上に、彼女の素性を明かすには危険が伴うと判断した。それはそれで問題視しなくてはいけませんね」 「…………」  再び沈黙が戻った。シオンは首を傾げる。  彼は魔術師を嫌悪している。シオンにも、魔術師との関わりを断つよう強要してきた。以前、魔術師と何かしらのいざこざがあったのは明らかだ。しかし、具体的に魔術師とのどのような関係が、どう自身の害になるのかも今は分からない。  スフェノスの沈黙を、平淡な嘲笑が破る。 「まず、先ほどの娘が本当に記憶喪失なのか。確証はないだろう、フルゴラ」 「私は彼女が嘘をついているとは思えません」 「少し口を慎みたまえ、アーネス。君は彼らに肩入れし過ぎている」  アーネスがフルゴラの代わりに発言すると、視線は一斉に彼女へ向けられた。アーネスは周囲を見回し、広間にその声を響かせる。 「虚言であればジェドネフがとっくに見破っています。繰り返すようですが、今回の件はラドラドル石から、私とフルゴラに依頼されているのです。ラドラドル石までも、私たちを欺いていると?」 「そこのスフェノス石と同じ、フューカス様の傾玉であれば、何ら不思議ではなかろう」 「2石して己の務めを放棄しようとの画策も、否定はできまい。フューカス様の創られた傾玉を信頼できるとは言い難い」 「君は元々、大陸史を学んでいたのだろう、アーネス。ならばフューカス様の遺功も十分に承知しているはずだ」  シオンはジェドネフに問いかけようとする。しかし、彼の姿がない。仕方なく、彼女は鏡へと向きなおった。  アーネスは前へ一歩踏み出した。何やらひどく憤っている様子だ。 「では、大陸史を学んでいた身から言わせて戴きます。昨今のフューカス様の評価は、後世の人間がいい加減な尾ひれをつけた史料を、さも正史とばかりに学舎で教えてきた結果だ。私は常日頃、嘆かわしく思っている所存です」 「ならば教鞭を取る側に転身したまえ、アーネス。最も、同胞であられたシュティア公が、自らフューカス様の記録を抹消なさったのだ。それが真実であり、その真意は誰にでも明白であろう」 「シュティア公の真意を、我々程度の魔術師が推しはかるなど……」  アーネスはさらに反論を口にしかけた。それを遮るように、広間に轟音が響き渡る。  同時に鏡には大きな亀裂が入り、シオンも思わず体を引いた。薄い破片がパラパラと落ちていく。  割れた鏡に映った黒い鳥かごは、大きくひしゃげ、形がいびつに歪んでいた。 「口を慎むのは、君たちの方だ」  地を這うような声音に、誰もが息を呑む。  金糸の髪が揺らぎ、顔を覆う指の間から、碧眼が燃え上がる。 「これ以上、僕の愛したヒトと、裏切り者の名前を並べるなら……。この場に在る首、この手ですべて刎ねてくれる」  鏡ごしでも、体が思うように動かない。それでもシオンはふらつきながらも椅子から立ち上がる。やけに重い脚を奮い立たせる。  そこへ、つい先ほどまで隣にいたはずの男の声が聞こえてきた。 「人の創造主を裏切り者とはお言葉だな」 「……ジェドネフ、シオンの側にいろと言ったはずだ」 「いいから少し黙ってな、ちんちくりん」  ジェドネフはいつの間にか鏡の中に、審問の間にいた。  彼に制され、アーネスは渋々と口を引き結ぶ。  折れた白刃を手にしたまま、スフェノスが目を細める。 「僕は事実を口にしているだけだろう……?」 「事実、ねぇ……」  鼻で笑い、ジェドネフが指を鳴らす。黒い鳥かごは徐々に床へ沈んでいき、スフェノスごと呑み込まれてしまった。  胸を撫で下ろす空気の中で一人、フルゴラが苦言する。 「ジェドネフ。勝手にスフェノス石の審問を閉廷されては困ります」 「お前さんだって、あいつがアレ以上しゃべると思ってねぇだろ」  視線で広間を見回し、ジェドネフは声音を下げる。表情の失せた瞳からは、それまでの軽薄さも消えていた。 「貴様らが傾玉(俺たち)をどう思おうが勝手だが、創造主の名を辱めるなら話しは別だ。この場でヤツを檻から出してやろうか……?」 「先の失言に関しては私から謝罪いたしましょう、ジェドネフ。こちらにそのような意図はありません」 「謝罪の相手は俺じゃねぇだろう。ガキの機嫌直したいなら、よくよく考えるんだな」 「ジェドネフ。我が主に対してそれ以上の物を申すのであれば、言葉を選べよ」  フルゴラの背後に控えていたアダマスが前へと出る。  2人はしばし、無言で視線を交えていたが、先に肩を竦めたのはジェドネフだった。 「どいつもこいつも、もう少し年上を敬っても良いと俺は思うがね……」 「あなたの忠告を素直に受け入れます、ジェドネフ。スフェノス石の機嫌を損ねてしまった以上。続きは明日とします」  カンカン、と渇いた木槌の音が鳴り響き、鏡の中の景色はふ、と消えた。  割れた鏡に映る自身の顔を前に、シオンは立ち尽くす。 「フューカス、さん……」  シオンは何となしに名前を呟く。唇が重くなった気がする。  ソファへと移動し、重力に従って腰を下ろした。照明の灯りがやけに眩しく思えて瞼を閉ざす。 「素敵なご主人様だった、のかな……」  でなければ、ああも彼は怒らないだろう。シオンの体は意識と共にソファへ沈んでいく。  どんな人だったんだろうと、シオンはまどろみに呑まれていった。
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