28.選択

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28.選択

 数日前まで晴天が続いていた空が、今日に限って灰色の雲に覆われている。宛てもなく風に流れる雲の合間から、時おり日差しが差し込み、また遮る。  シオンは姿見の前で回った。今回はアーネスに手伝って貰いながらも、自身で身なりを整えている。どうにも髪は上手くまとまらないし、結び目は縦になりがちだ。いつになれば一人で着替えができるようになるのだろうか。シオンは肩を落とした。  ようやく整った着衣を確認するため、シオンは化粧台を離れて応接間へと戻る。 「アーネスさん。これで大丈夫ですか?」 「ああ。似合っているよ、シオン」  ソファに腰かけるアーネスは朗らかに頷く。眠そうなあくびも消えていた。  フルゴラとの面会の後。シオンは早々に狭い病室から解放された。迎えにやって来たアーネスと共に屋敷へ戻ってきた時には、内臓が口から吐き出さんばかりの、安堵がこぼれたものだ。  シオンだけではない。スフェノスも、お咎めを解かれていた。アーネスの屋敷に着くなり、さも当然のように現れたので驚いたの、何の。  シオン以外に辛辣な態度をとるのは相変わらずであったが「君の寝食を保障する相手に、危害を及ぼすほど愚かではないよ」とのことである。そう微笑む傍ら、屋敷に住まう人間と一切の言葉を交わさない。困った従者様だ。  そしてそれほど日も空けぬ内に、シオンは再び審問の場であったこの評議場へと呼び出されている。  シオンはペンダントを首へかけ、いつものように服の中へと隠す。 「本当にこれでいいんでしょうか……」 「そう心配なさんな。フルゴラの嬢ちゃんは、話しの分かるヤツだからな」  現れたジェドネフがシオンの肩を軽く叩く。  アーネスも眺めていた懐中時計を懐へしまい、立ち上がる。 「彼女は味方、とまではいかないけど。傾玉に対しては寛容だからね。君がスフェノスを大切にしてくれるなら、彼女もスフェノスの意思を尊重したいだろう」 「何から何まで、ありがとうございます、アーネスさん」 「一度は君の身を預かると決めたらからには、最後まで付き合うのが筋と言うものだ。礼を言われるほどのことではないよ」  アーネスは初めて会った時のように、シオンへ手を差し出す。  思えば、彼女は始めから今日に至るまで、シオンの味方であった。見ず知らずどころか、どこの者とも知れぬ記憶喪失の人間の言葉に耳を貸し、衣食住を貸し与え、問題の解決に尽力してくれた。これから先、多大なこの恩を、どう返せば良いのだろうか。 「これからもよろしく頼む、シオン」 「こちらこそ、よろしくお願いします。アーネスさん」  柔らかな手を握り返し、シオンは頷く。シオンが両手でアーネスの手を包むと、彼女は照れくさいと笑った。 「まさかこの歳で弟子を取るとは、思ってもみなかったけど……」 「嬢ちゃんも大変だな。こんなちんちくりんが師匠とは」 「一言多いと言っているだろう、ジェドネフ」  ジェドネフのぼやきにシオンはつい口元をおさえる。  アーネスは一人、口を尖らせて部屋の扉を開いた。 「師弟なんて、形ばかりだけどね。僕のことは師と言うより、友人の感覚で、アーネスと、気軽に呼んでくれ。未熟者なのに師と仰がれるのも、敬語を使われるのも、抵抗があるし……」 「じゃあ、そんなアーネスお師匠は、今いくつなの?」 「僕はまだ今年で53だよ。魔術師としては、40年ほどかな」 「……ん?」  聞き間違いだろうか。シオンは自分の耳を疑った。いや、しかし。確かに初老にかかる数字を耳にした気がする。  彼女が首を傾げている一方で、アーネスは感慨深げに窓の外を眺めていた。 「弟子かぁ……。僕の弟子かぁ……」 「浮かれてヘマするなよ、ちんちくりん」 「初めての弟子くらい、浮かれたっていいだろう」  軽やかな靴音が、大理石の廊下へ木霊した。  いつぞやの評議の広間を通り過ぎ、シオンは更に奥へと進む。人が肩身を狭くしてようやくすれ違える廊下の先には、木製の両扉があった。扉は2人を招き入れると、見かけ以上に重い音を立てて閉じる。  こじんまりとした木調の部屋には本棚やテーブルが壁際に置かれ、先日の広間とは随分とおもむきが違う。部屋の中央には背の高い麗人がひとりと、それに付き添う銀色の影がひとり。 「今日は、フルゴラさんだけ、なんですね……」 「他の奴らはラドラドルから遠回しに警告されたからな。しばらくは口出ししてこないだろうよ」  辺りを見回して胸を撫で下ろすシオンに、ジェドネフは口角を持ち上げる。 「リアトリスさんからも、また色々と言われるかと……」 「アレもフルゴラに諭されて、大人しく帰ったぜ。すっかりふて腐れてな」  フルゴラの元へ歩み寄り、アーネスが気さくに挨拶を交わす。シオンが挨拶を口にする間もなく、彼女は本題を持ち出してしまった。 「協会の意思は、事前に伝えた通りです。あなたの処遇は実質、保留の扱いとなりました」 「は、はい」 「ラドラドル石からは未だ苦言を呈されていますが、彼は私が説き伏せます。あなたは気にせず、アーネスの指示に従いなさい」  冷ややかな声音に、背筋が伸びる。シオンの返事は妙にぎこちなくなった。  フルゴラが目を伏せると、青い瞳を長いまつ毛が隠してしまう。 「これから、あなたの身はアーネスの預かりとし、あなたの起こした不祥事は、彼女の責任ともなります。くれぐれも忘れなきよう」 「スフェノスに関しては、現状の仮契約を維持するものとし、緊急を要する場合でない限り、本格的な契約は禁ずる、とのことだ。要は、大人しくしておれば良い」  銀の長身が先を引き継ぎ、こちらを見下ろす。  不遜な笑みを浮かべる彼にシオンは遠慮がちに挙手してみせた。 「すいません……。緊急を要する場合とは、具体的にどういう事態でしょうか……?」 「スフェノスの魔力が枯渇し、存在自体が消滅しかねぬ状況だ。奴の性質は特殊ゆえ、よほどのことでない限り、魔力が枯渇することはあるまい。そも、奴が砕けるとなれば、我が雷か、ジェドネフの土葬か。どちらかであろう」 「そう言った事態にならないよう、努めます……」  それらはこちらとしても、できるだけ考えたくない。シオンは力強く首を縦に振る。  アダマスは自身の後ろ髪を軽く手で払った。 「なに、貴様がその謙虚さを忘れずにおれば、何ら問題はない。あくまで貴様は、次のスフェノスの主が決まるまでの繋ぎ。あやつが手につけられなくなった、と言うのであれば、気兼ねなくそこな翁の力を借りるとよい」 「誰が爺さんだ、誰が」 「貴様もいい歳であろう。そろそろ優秀な後進のため、隠居暮らしも良いのではないか?」 「優秀な後進だぁ? 誰のことだよ」  渋面するジェドネフ。すん、と。アダマスの表情から不遜な笑みが消えてしまった。  はらはらと成り行きを眺めているシオンをしり目に、フルゴラとアーネスは穏やかな会話を続けていた。淡白だったフルゴラの声音が柔らかい。 「詳細な禁則事項に関しては、私が元老院の意見をまとめた後、あなたへ伝えます。そちらにも目を通しておくように。その間に済ませなければならない手続きも多い。こちらも漏らさぬよう。一つでも漏らせば、そこが後々、あなたの弱点ともなります」 「君の気遣いに感謝するよ。いつかこの借りを返さないとな」 「あなたに貸し借りを作る気はありません。私の細事より、自身の心配をなさい」  傍らで売り言葉に買い言葉を続けるジェドネフとアダマスとは対照的に、その主たちは親しげだ。思い返せば、アーネスが彼女を敬称で呼んだことはない。やはり彼女は見た目以上の人生経験をしていると思われた。  つい、アーネスの様子をまじまじと眺めていたシオンだったが、フルゴラの視線に気付き我に返る。 「あなたも。傾玉の主としての立場を選んだからには、努力を惜しまぬように」 「はい。ありがとうございます」 「では、スフェノスをこれに」  フルゴラが手を差し出す。不満そうなアダマスの姿が不意に消え、白い光が部屋を包んだ。生温い風が傍らを横切る。まぶたの向こうで光が落ち着くのを待って、シオンは目を開いた。  アダマスの代わりにその場へ現れたスフェノスは、眉を潜めてフルゴラとアーネスを見る。  昨日、今一度フルゴラの質疑へ応じるようにやっとの思いで説得したのだが、ちゃんと受け答えできたのだろうか。  シオンの心配も露知らず、彼は彼女が視界に入るや否や、別人のように顔をほころばせた。 「おはよう、シオン」 「うん。おはよう、スフェノス」  眩しい微笑みにシオンも笑みを返そうとしたのだが、どうにも固くなる。  妙な沈黙がしばし、室内に流れた。  口火を切ってくれたのはアーネスだ。彼女は視線をあさってへ向けて苦笑する。 「あー……。僕はフルゴラと少し話しがあるから、先に部屋へ戻っていてくれるかい、シオン」 「分かった……。先に戻ってるね……」  シオンはフルゴラへ頭を下げる。彼女は黙って頷くだけだ。2人は部屋を出た。  静かな廊下を、沈黙のまま進む。傍らにスフェノスの姿があるものの、足音はシオン一人分だった。視界の端で金の髪が揺らぐ。宿で出会ったばかりのことを思い出す。何から話せばいいだろう。  気付けば、誰ともすれ違わずに部屋へと戻っていた。  部屋の扉を閉ざして、シオンはスフェノスへと向き直る。曇天からの日差しが弱々しく、互いを照らす。  沈黙に耐えられず、意を決しシオンは口を開いた。 「これからのことは、聞きました?」 「アダマスから大体は聞かされたよ。不服ではあるけれど、今は妥協しよう」 「えっと……。どのあたりが不服なんですか……?」 「君といるための条件が、君が魔術師で在らねばならないのが。僕にとっては酷く不愉快だ」 「フューカスさんのことがあるから?」 「……そうだね」  碧眼を一度閉ざし、スフェノスはうつむいた。おもむろにシオンの前へと膝をつき、彼女の手を取る。  その動作には、見覚えがある。一月も経っていない出来事が、いやに懐かしく思えた。  翠の双眸は暗く落ち込む。 「僕は結局、他者の力に頼ってしまった。……僕はまた、力不足だった」  弱々しい声音は、窓の外で降り始めた雨音にすら負けてしまいそうだ。  シオンは選ぶ言葉に迷う。 「あなたの気持ちは伝わっています。ただ……。やっぱり隠し事をされているのは、不安で……」 「……それでも、僕は君に全てを告げることはできないんだ」 「私のため。だから……?」 「少なくとも、僕はそう思っている。君の身を、命を、守るために」  握り返した手は冷たく、指先の温度を吸い取る。 「私の家族のことや、私自身のことも?」 「……話せない。君に憎まれてでも、僕は……君を守り抜くと決めたんだ」  固く口を引き結び、彼は目を細める。 「それでも君は、こんな僕を信じてくれるかい……?」  声は雨音に溶ける。冷たい指が強く絡む。  すがられているようにも思えた。それとも、逃がすまいとの、束縛か。  黒い影からの問いかけが脳裏を過る。 『お前はスフェノスを信じてくれるか』  シオンは目を閉ざした。 「……あなたを信じてみるって、決めたのは私だから」 「……ありがとう、シオン」  絞り出された声の後、手の甲へスフェノスの額が添えられる。割れ物に触れる手つきは恐ろしいほど、緩やかで優しい。  恭しく頭を垂れる、麗しい青年。なびく金の髪。誓いを告げる赤い唇。 「我が名(めい)はスフェノス。白き奇跡使い、フューカスが遺児にして、我が身は全てを断つ白刃なり」  温度のない指がシオンの手をすくい上げ、彼女の指先へと接吻を落とす。 「この器は、貴女様のために捧げます。我が主」  碧眼がシオンを見つめる。周囲の光を吸い込み、双眸は輝く。  二度目の誓いはごまかしも、逃亡もできない。正答を知らずとも、答えを選ばねばならない。応えなければならない。  誘い込む瞳に頷いてしまいそうな衝動を抑え、シオンは視線をそらす。 「スフェノス……」 「ああ……。すまない」  スフェノスは目を閉ざした。  深いため息は苛立ちにも、落胆にも見て取れるのが、また悩ましい。   「故意ではないんだよ」 「分かっていて、使ってる時もあるでしょう?」 「これは数少ない僕の取り柄のひとつなんだ」 「数、少ない……?」  首を捻り、まじまじとスフェノスを爪先から頭まで改めるシオン。  数少ないとは何を基準にしているのだろうか。  スフェノスは立ち上がり、冷たい両手で彼女の手を包んだ。 「コレは必要に迫られた時だけにするよ」 「迫られたら使うんだ……」 「僕を信じてくれる君に、僕は応えなければならないからね」  苦笑するシオンに、スフェノスは眩しそうに目を細める。 「必ずや、ご期待に添えてみせましょう、愛しい主」  シオンの手を包む彼の手と、彼女の胸元に触れる石は、どちらも似たような感触がする。常に目が冴える冷たさを帯びて、いくら指先から温度を吸い込んでも、温かくはならない。  シオンは窓の外に目をやった。雨は激しさを増し、遠くの景色が霞む。  もしや、この雨も夢ではないかと。シオンはまぶたを下ろす。  暗闇の中で聞こえてくるのは、雨音と、穏やかに自身を呼ぶ、青年の声だった。      【 完 】
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