07.出立

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07.出立

  「すいません。何から何まで、お言葉に甘えてしまって」 「なに言ってんだい。お代なら十分過ぎるほど、いただいてるよ」  何度も頭を下げるシオンの背を、女将が気さくに叩く。  翌朝も雲ひとつない快晴。目覚めもよく、用意されていた朝食もするりと収まった。疲労のせいか、また夢見が悪かった気もするが体は軽い。 「昨日の夕食も、せっかく用意してもらったのに……」 「お連れさんが代わりに食べてくれたから、なぁんも問題ないって言ったでしょう? それより、この先そんな調子で大丈夫なのかい?」  女将の心配は最もである。シオンがぎこちなく入口を見ると、スフェノスが荷物を纏めて手を振っている。 「た、たぶん……。大丈夫です……」 「城下まで行けば、腕のいい魔術師や医者もたくさんいるからね。治りそうにないなら、早めに診てもらうんだよ」 「はい。ありがとうございます」 「良いヒトが一緒なんだから、寄り道もほどほどにね」 「お、お世話になりました……」  にんまりと笑う女将。シオンは頭を下げ、そそくさと宿を後にした。 「何かあったのかい?」 「何でもないです……」 「?」  自然、顔を背けてしまう。足早に進むシオンの横を、スフェノスが歩調を合わせて歩く。荷物を全て持たせては悪いと思ったのだが、彼はやんわりと。しかし断固として、シオンに荷物を持たせてはくれなかった。  日差しが程よく体を包み、風は穏やかに頬を撫でる。町の入口では荷車や馬に荷物を積んだ人々が溜まっていた。馬や荷車には、どれも同じ。緑の地に、金の雄牛の紋章が施された装飾品がつけられている。何かの印だろうか。  あちらこちらへ目を奪われるシオンの手を引き、スフェノスは一台の馬車へ声をかける。馬車には親子と思わしき男女が、出立の準備を整えている最中だった。父と娘と見られる彼女らはスフェノスが視界に入るや否や顔を輝かせる。 「すいません。お待たせしてしまいましたか?」 「いいえ。こちらも準備が終わったところよ。あなたのおかげで、馬たちも嘘みたいに元気になったわ」 「それは良かった。お父上もお言葉に甘えさせていただき、感謝します」 「馬の具合を治してくれた礼さ。お互いさまさ」 「荷台をあけておいたから、適当な所へ乗ってちょうだい」  馬を撫でていた娘がスフェノスに駆け寄り、荷台へと導く。  首を傾げるシオンへ、スフェノスはそっと耳打ちをする。 「ちょうど彼らが目的地の脇を通ると話していたからね。具合の悪そうな馬の調子を看てあげたんだ」 「魔術……で、治してあげたんですか?」 「今日は仕事がしたくないと彼らが言うのでね。少し励ましてあげただけだよ」    スフェノスは冗談めかしく微笑み、口元へ指を立てる。  女はスカートの裾を翻す。荷台の天幕をあげ、嬉しそうにスフェノスの手を取った。自分は彼女の視界にすら入っていないらしい。 「狭いけれど、大丈夫かしら」 「十分だ。お気づかいありがとう」 「何かあったら声をかけて。私も父も、前にいるから」 「助かるよ。短い間だけれど、よろしく」 「ええ。それじゃあ出発しましょう」  名残惜しそうにスフェノスの手を放し、彼女は馬の元へと戻っていった。足並みも軽く、実にご機嫌だ。スフェノスは先に荷台へ上がり、荷物が入った皮の鞄を隅へ置く。 「城下町まで歩くと、シオンが大変だと思ってね。君が起きる前に足を探しておいたんだ」  差し出されたスフェノスの手に引かれ、荷台へ上がる。天幕で覆われた荷台の中には木箱や藁が積まれている。ここにもやはり、雄牛の紋章が入った布を被せられていた。  座り心地が良い藁の上に2人で腰を下ろす。鞭が馬を打ち、馬車が揺れ始めた。  天幕の隙間から、町並みが遠ざかっていく。 「目的地まではここから、どれくらいかかるんですか?」 「馬車なら一日もあれば着くかな。今日は天気も良いしね」  スフェノスは微笑んでいる。シオンは相槌を返し、思い出す。  昨夜は睡魔に負けてしまい、話しを途中でうやむやにしてしまった。けれど、何と切り出していいものか。  横目でスフェノスを盗み見ると、天幕の間から小鳥が入ってきた。鳥は彼の差し出した指に止まり、彼を真似ているのか、同じ方向に小首を傾げる。たまにさえずり、羽ばたいた。会話をしているようにも見える。実際にそうだとしても、もう驚きはしない。  これから先、失った記憶がいつ戻るかは、彼にも分からないそうだ。シオンの身の上や、彼自身のこと。まだ全てを話してくれてはいない。一から消えてしまった他人の記憶を埋めていく作業は、我ながら考えただけでも気が遠くなる。もしくは、意図的に彼が伏せている。とは、あまり考えたくはなかった。  ぼうっと。シオンは地平線まで続く丘を眺める。道の両脇には緑の稲穂が垂れ、風に遊ばれていた。 「広い畑と、畑、ですね……」 「農業と牧畜が主な産業の地域だからね。とても良い土地だ」  彼への同意なのか。小鳥が可愛らしいさえずりを返す。  藁や荷物を積み上げた荷馬車と何度かすれ違う。時おり、地面の凹凸にはまって荷台が大きく揺れた。馬の蹄が、一定の感覚で小気味良い音を立てる。  風と蹄の音に揺られながら、青空の下。流れていく景色を飽きもせずに眺めていた。
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