08.検問

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08.検問

 予定通り。太陽が山裾へ隠れる前には目的地へと到着した。  長い間、揺られていたせいだろう。荷台から下りれば腰の痛みに襲われる。地面に足をつけても、しばらくは歩いている心地がしなかった。  案の定、スフェノスは娘に引き留められている。彼は父親に謝礼を渡し、きれいな笑顔であっさりと別れを告げた。恨めし気な視線を背中に受けて、シオンもそそくさと馬車から離れる。  コレはどうにかならないものだろうか。 「足元に気を付けて」  にこやかに差し出される手を、シオンは複雑な心境でとる。  丘へ登ると、橙色に焼け始めた空の下へ広がる街並みが一望できた。  まず始めに町の中央でそびえ立つ、石造りの城が目につく。空を遮るほどの立派な城壁には、深緑の旗がはためいていた。緑と黒の城を中心に、深緑の三角屋根が幾重にも連なり、さらにその城下を囲むのは、見上げるほど高い、石の壁だった。  丘を下っていくと、その大きさがよく分かる。シオンは目の前に広がる石の壁を見上げた。  黒い石の上を、等間隔で緑の旗印が彩る。増える人の流れに沿って進めば、一段と大きな雄牛の紋章を備える鉄門が現れた。シオンは思わず感嘆する。 「すごい大きな門ですね……」 「アルデランは12の国の中でも最も豊かな国だからね。その王のお膝元ともなれば、それだけ人も集まる」  はぐれないようにね、と。スフェノスはシオンの体を引き寄せる。冷たい手に自然と体が固くなった。  人は増えていく一方だ。人だけではなく、馬や牛。はたまた、見たことも珍妙な生き物が目に入り、何度も視線を向けてしまう。  喧騒に負けないよう、シオンは少し声を張る。 「あの、壁にかけてある旗は……?」 「ああ、緑の旗印かい? 緑地に金の雄牛は、アルデラン国の紋章だ。元々は建国に貢献したシュティア公家の家紋だったものが、今では国の紋章として扱われているらしい。商人がこぞってあの紋章をつけているのは、彼への敬意もあるけれど、縁起担ぎみたいなものかな」 「とても敬われている人なんですね……」 「人間には魅力ある人物なのだろうね。僕にはまるで理解ができないのだけれど」 「……?」  スフェノスは笑って相づちを打つ。  その言い回しに違和感を覚え、シオンは彼を見上げた。 「でも困ったね」  スフェノスは眉を下げる。シオンが彼の視線の方向を見ると、そこには長い、二つの列ができていた。 「何の行列でしょう?」 「アルデランの兵が検問を敷いているみたいだ」 「……何か、入口で見せてるみたい」 「旅券かな。もしくは商いの認可証だろう」  行列の先へと目を凝らしてみる。  列の先頭は鉄門の両脇から伸びていた。それぞれに同様の黒い衣装を纏った武装した男たちがいる。人々から差し出される何かを見て、記録を取っているらしい。すぐそばでも、同じ姿の男たちが馬車に積まれた荷駄を確認していた。  スフェノスが「うーん」と、口元へ手をあてた。 「急ぎの診察を受ける体で、それとなく入ろうか」 「え……? それで、大丈夫なんですか……?」 「今から旅券を工面するとなると、ちょっと時間がかかるんだ」 「準備していたから、ここを目的地にしたのでは……?」 「ここまで来たのは成り行きかな。この辺りでは治安が一番良いし、君に野宿をさせる訳にもいかないから仕方なく、ね」 「そうだったんですね……」  呑気な口調にシオンは苦笑する。  一度、2人は行列から離れた。門の脇で積み荷を整える商人たちへと紛れ、手ごろな石の上へと腰を掛ける。スフェノスはどこからともなく、金貨と首飾りを取り出した。 「旅券がなくても中に入れないか、少し聞いて回ってくるよ。シオンはここで待っていてくれるかい? 少しだけ路銀も渡しておくから、何かあれば使って構わないよ」 「えっと……。これは……?」  スフェノスは数枚の金貨を、シオンの手の平へとのせる。重なる金貨が高い音を立てた。さらに、彼女の首へ首飾りをかける。慣れた手つきでかけられた首飾りはペンダントの形をしており、銀の装飾に小さな萌木色の石がはめられている。小さなその石は、角度によっては無色透明にも見えた。  首にかけられた石を見下ろし、シオンは首を傾げる。 「お守り、とでも言えばいいかな。僕のいない間に、昨日のようなことがあるとも限らないから」 「昨日のような、こと……」  はた、と。シオンは今朝の悩みを思い出した。遠くで男の悲鳴が聞こえた気がして、口を引き結ぶ。 「何かあれば、それで僕を呼んで。すぐに君の元へ戻ってくるよ」  スフェノスは立ち上がり、恭しく頭を下げた。長身の背は人ごみに向かい、波にのまれて見えなくなる。  彼を見送ったシオンは金貨をポケットへ押し込み、ペンダントを指でつまんだ。小さい石ながらよく磨かれている。施された銀の装飾と言い、こんな高価な物をもらっては気が引ける。  彼は従者と言えど、少しばかり過保護ではなかろうか。それとも、これが世間一般的な主従関係なのだろうか。  触れた石の表面は冷たい。シオンは首から下がる小さな宝石を服の下へと隠した。  空は相変わらず雲一つなく、徐々にごった返していた人ごみが減っていく。  もし、このまま置いて行かれたら――。 「まだ、大して待ってないのに……」  ため息を吐き出して、風になびく緑の旗印を眺めた。  旅の目的が何であれ、彼の主人である自分が始めたのだろうから、はやく記憶を元に戻したい。そのためにも解決してくれそうな人物がこの都にいてくれたらいいのだが。 「やあ、君も荷物の検分待ちかい」 「え……? あ……こ、こんにちは……」  考え込んでいたシオンは我に返った。  顔を上げれば、そこには少女が立っている。気さくな声に反して、少女はシオンより一回りは歳下に見えた。隣に腰を下ろした彼女の頭は、シオンの目線ほどだ。  彼女もやはり白い肌に金色の頭髪を備えていた。加えて、彼女の白い肌はきめ細やかでくすみひとつない。腰まで伸びたおさげ髪も毛先まで整っている。服装はシオンと大差ない身なりではあったが、ローブの下に見えているシャツから靴に至るまで。これまで出会った同性とは明らかな違いがあった。 「僕はアーネスだ」  差し出された右手に、シオンは目を瞬く。理解するまでに、やや間を要した。シオンは慌てて同じように右手を差し出す。 「私は……シオン、と言います……」  握った手の平は当然ながら温かい。ぎこちなく自己紹介と握手を交わし、シオンは密かに生唾を呑み込んだ。 「シオン? この辺りでは珍しい名前だね。東の出身?」 「ええっと……ここから少し、遠い場所……」 「へぇ。やっぱりそうか。きれいな響きだ」  アーネスは感心した様子でシオンの黒に近い、茶色の髪を眺めている。気恥かしくなってうつむくと、彼女は「ごめん、ごめん」と笑う。長いまつ毛に、鈍色の瞳が見え隠れしていた。  彼女は自身の膝に抱えた鞄を開き、中身を探っている。 「身内の土産が検閲に引っかかってしまってね。僕まで待ち惚けを食らってしまったんだ。夕食までには家に帰れると良いんだけど……」  取り出したのは小さな木箱だった。開くと細長い棒状の塊が入っている。一見すると、硬い焼き菓子のようだ。バターと卵の香りがする。 「良かったらどうだい? この辺りでは定番のお菓子だよ」 「あ、ありがとうございます……。いただきます」  アーネスが軽く力を入れると、焼き菓子は小気味よく割れる。彼女は半分に折った片方をシオンへと差し出した。  彼女が先に一口食べて、シオンも続いて少しかじった。甘い。口当たりも見た目に反してなめらかで、バターの香りが鼻に抜けていく。シオンはもう一口、頬張った。 「君は一人で旅行をしているの? それとも商売かい?」 「商いではないです……。荷物は、えっと……同伴者が持ってくれていて……。この国は、初めてなので、彼は今、話しを聞きに……」  味をゆっくり堪能する間もなく、シオンは言葉を濁した。  スフェノスをなんと紹介するべきか。従者と素直に答えれば、彼は喜ぶのだろうが。  シオンは苦し紛れの回答を返した。アーネスは菓子の入った箱を鞄へ戻して頷く。 「ああ、連れがいるんだね。随分な軽装だから、つい声をかけてしまったんだけど、要らぬお節介だったみたいだ」 「いえ。慣れていない場所で緊張していたので、話し相手ができて嬉しいです」  もらった菓子はすべて口の中へ消えてしまった。あとでスフェノスに菓子の名前を聞いてみよう。  アーネスは口元をハンカチで拭っている。シオンは彼女の育ちの良さを何となく察した。それこそ、彼女のような人間が従者と呼ばれる付き人を従えているのではなかろうか。 「初めてなら城下を案内しようか? 住んでいる僕が言うのも難だけど、とても良い街だよ」 「本当ですか? あ、でも…………」  願ってもない申し出に、シオンの胸は少しばかり浮かれていた。同性の知り合いが増えるのは、とてもありがたい。昨日の着替えの件に始まり、スフェノスには相談しにくい事態が起きるのは明白だ。  何より今は少しでも顔見知りを増やしたい。しかし、肝心のスフェノスが戻ってこないことには、この壁の向こうへ入れるかも分からない。  シオンは悩む。彼はいつ戻って来るとも知れない上、中に入れないのなら意味が無い。  シオンは淡い望みをもって顔を上げた。すると、見計らったかのように見覚えのある長身が見えたのだ。  人ごみの合間を縫ってやって来る麗しいその姿は、彼に間違いない。荷物をどこかへ預けてきたのか、その手には鞄がなかった。  はやる期待に任せて、シオンは立ち上がる。 「どうしたんだい?」 「ちょうど同伴者が戻って来たみたいで……」 「ああ、そうだったね。君だけ連れて行ったら怒られてしまう」 「街に入れそうか、聞いてきますね」  いたずらっぽく笑うアーネスに、シオンもつられて笑った。  足早に、シオンはスフェノスへと歩み寄る。向こうもこちらに気付いたのかピタリと足を止めた。   「スフェノス。あの、話しが……」  シオンが口を開きかけたその時、彼女の横を何かが横切った。激しい突風に埃や砂が舞い上がる。堪らず腕で顔を庇い、かたくまぶたを閉ざす。風が収まるまでにはしばしの間を要した。  恐る恐る目を開けると、数歩先の地面がえぐれ、地面がむき出しになっていた。それはシオンの横、一直線に伸びている。嫌な予感がした。鼓動がやけに大きくなる。  えぐれた地面の先を目で追うと、先ほどまで自分が座っていた石は砕け、跡形もない。そこに在ろうはずの人影も見当たらず、シオンは呼吸を忘れていた。
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