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隣に立っている園服姿の女の子が、わたしの顔を見て笑っている。無神経な台詞も、この年齢の子が言うならば許されてしまう。わたしは持ち前のサービス精神で、変顔を披露した。顔を膨らます、舌を出す、顔のパーツを中心に寄せる、すっぱい顔をする。表情を切り替えるたびに、女の子は高い笑い声をたて、はしゃいだ。父親は娘の隣で苦笑しているだけ。芸のない男だ。灰色のスーツと薄茶色のネクタイ。どちらもくすんでいて、平凡以下の服装。地味な顔には似合っているけど。それに比べ、彼と手をつないでいる少女は、美少女と言って良いほど整った顔立ちをしていた。目は大きいし、睫もバサバサ。小ぶりなピンク色の唇は、指で触れたくなるほど可憐で瑞々しい。
ふいに、笑い終えた少女と目が合った。驚いたように目を大きく開け、わたしの顔を指さした。
「おかあさんだよ、このお姉ちゃん、おかあさん!」
少女が変なことを言い出す。父親は焦ったように「違うよ。お母さんじゃないよ」と娘をたしなめる。
あなたを産んだ覚えはありませんよ、と心の中でつぶやいて、わたしはバッグの中からスマホを取り出した。そろそろ、眠気を誘う雨音を排除しなければ。スマホにイヤホンを差し込み、耳の中に押し込もうとしたとき、目の前にバスが停車した。
「ねえ、おかあさんだよね? 動けるようになったの?」
いや、ずっとずっと前から動いているよ。そう言おうとしたけど、閃くものがあって男の顔を見た。目が合うと、男は慌てたように少女の手を掴んで、そのままバスの階段を上った。引っ張られた少女の小さな頭から、紺色の園帽子が首に落ちた。白い顎紐がびよんと伸びている。
わたしもバスに乗り込み、ICカードでさっさと支払を済ませ、空いている席を探して座った。
男の慌てた様子と少女の言葉に、思い当る節があった。
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