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生まれてこの方三十年、タイミングの悪さにげんなりしたり、地団駄を踏んだりしたことは数知れずあった。そろそろ勉強しようとゲーム機の電源を切った瞬間、親から勉強しろと叱られ、今からやるところだったと言い返しても信じてもらえなかった小、中学生時代。好きな子ができて告白しようとした矢先、友人がその子と付き合いだし、恋心を封印した高校時代。大学時代も些細なすれ違いで恋人と別れたことがある。そして今。
一秋がシャワーを浴び終え浴室のドアを開けたとき、インターホンが鳴った。平日の夜七時。人が訪ねてくる心当たりも、宅急便が到着する予定もない。恋人だったら、インターホンを押さずに合い鍵で入ってくるはずだ。新聞の勧誘か、NHK受信料の督促か。どちらにせよドアを開ける気にはならない。だが、訪問者はインターホンは根気よく鳴らし続け、家主を急かしてくる。まるで「いるのはわかっているんだぞ」と言いたげだ。一秋は仕方なく腰にバスタオルを巻いて玄関に向かい、インターホンの応答ボタンを押した。
「どちらさま?」
一秋はわざと面倒くさそうな声を出した。
「俺だよ、俺」
最近はインターホン越しの「おれおれ詐欺」でもはやっているんだろうか。そんなことを一瞬考えた。本当に一瞬だ。数秒の沈黙の間に、声の主が頭に浮かんだ。
「加納?」
うわずった声が出てしまう。部屋の暖房は最低限の温度設定で、少し肌寒いほどなのに、手のひらがじわりと汗をかく。鼓動が把握できるほど早く大きくなる。
「そうだよ、開けてくれよ」
加納の語尾だけ掠れる声は、五年前と変わっていない。
「一秋」
何度となく呼ばれた名前。自分の名前。呼ばれた瞬間の数々が、雑誌の切り抜きのように何枚も重なり、翻った。
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