ボスの憂鬱

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ボスの憂鬱

 いつもの道を散歩する。天気は悪くない。湿気でヒゲがちりつくこともない、きわめて快適。足裏がひたりひたりと地面を掴む。  小さな店のガラス窓に、白地に黒ぶちの、立派な体格の猫が映る。あれは自分の姿が映り込んでいることを、もう知っている。知っているが、ことさら悠然と歩み去ってやった。  異変もなく、穏やかな日より。塀の上にのぼって、優雅に尾を天へ立てる。  若い縞猫が前を通る。ふわふわした足取り、危なっかしくて見てられない。  すぐに目の前の蝶や虫を追っかけて、ここが塀の上だってことを忘れてしまう。  ボス猫は顔をしかめる。  あいつは、おれの若い頃に少し似ている。ふわふわして毛玉みたいで、手足がひょろっとして、喧嘩に弱い。他の猫に会うと、背中の毛を逆立てて逆走する。逃げっぷりがよすぎて、おれの若い頃を知るばぁさんたちから、そっくりちゃんと呼ばれてるのを、あいつはおそらくまだ知らない。  実のところ、あいつは、おれの子かもしれない。と、思うこともあった。あいつの母親はもういないし、いたとしても、わざわざ聞いたりするなんてことはできやしない。  でも。色や柄は違うけれど、あいつはおれにそっくりだ。  今もそう。  おれが小さいときに話しかけてくれた、近所の窓辺の白猫さんに、あいつは懸命に話しかける。惚れてるのかもしれないが、あのひとはきっと振り向かない。来てくれって言ったって、勝手口から出るどころか、窓辺から離れることもできないんだ。あのひとは、ぬいぐるみってやつだから。  ぬいぐるみでも、たぶんぬいぐるみの命がある。優しい目でおれを見て、微笑んでくれる。今でもそう。大きくなったのね、って。あぁそうだ、おれは大きくなった。ちっぽけだった猫は、今ではすっかり大きくてふてぶてしい。  縞のあいつが、よその猫に威嚇されている。また、だ。  おれも耄碌したもんだ。若いもんの喧嘩は、若いもん同士に任せておけばいいのに。体がうずいて仕方ない。  縞猫がずたずたに裂かれる前に、やつらの間に声をかけた。  何でおれに助けられたのか、あの縞の猫は分からないだろう。  分からなくても、おれは助ける。  あのひとのためにも。  だってあのひとも、話し相手が減るのは、寂しいじゃないか。そうだろう?  おれは今日も、パトロール。  この辺りの安全は、おれが守る。
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