ひとりゆとりみとり

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 険しい岩場が続く。休憩の度、彼は塩味の飴を舐めた。頭に思い浮かぶまま、相槌を打とうともしない老人相手にああだこうだと思い出話をしては、全身を蝕む痛みと戦った。老人は彼の言葉をまともに取り合おうとはしなかったが、その意識は常に彼のほうに向けられているようだった。彼のペースが落ちれば水を飲めと命令し、彼が転べばストックの持ち方を正した。後頭部に目でもついているかのように、その指示は的確だった。 「あーあ。しんどいですね。しんどい」  冷えた空気が露出した皮膚を撫でる。登れば登るほど気温は下がり、今や体感温度は真冬並だった。 「子供のころ、見たんです。富士山に登る番組。あれ、すごく格好良くて、俺も登りたいって思ったんですよ。夢だったんですよ。こんなしんどいって知ってたら登らなかったのにな。でも、いっぱい人いるんですね。なんでみんなこんなしんどいのに登ってるんだろう」  岩場の狭間で座り込む彼らの前を、何人もの登山者が過ぎていく。ぞろぞろと続く列は、ツアーか何かの団体らしい。一定の距離感を保って進む人々越し、彼は眼下に広がる雲海をぼんやり眺めた。彼らは既に雲を見下ろす高さにいた。 「こんなしんどい思いしないと、雲の上には登れないんですね」 「……ヘッドライト」 「え? 何ですか?」 「消してみろ」 「今?」 「……」  老人が頭上に手をやり、ライトを消した。彼も倣った。暗闇が二人を包む。 「あ」  彼は瞬きをした。すぐ目が慣れる。すぐ近く、見たことがないほどの量の星があった。 「すげえ」  思わず声が漏れる。老人は何も言わなかったけれど、微かに笑ったような気配がした。 「意外にロマンチストなんですね」  体の疲労も痛みも忘れて、彼は空を見つめた。それは非現実的な光景だった。今まで居た場所とは遠い世界に来たようにも思えた。沈黙と、暗闇と、星の光と。白い息がゆらりと揺れて、冷たい空気に溶けていく。もしかしたら、と彼は思う。もしかしたら、こんな世界を見るために、人は山に登りたがるのかもしれない。
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