ラストスマイル

2/7
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 広瀬菜摘(ひろせなつみ)の最も古い記憶は、いつも電車を待っているところから始まる。 幼稚園の年中組だった菜摘は、夢の国からの帰路で疲れていた。母の手を掴み、一日中歩き回った足の痛みに耐えていた。 ふと、ホームの端を見ると、女性が立っている。腰まである長い髪が風に揺れていた。なぜあんな端っこにいるのだろう。そう思いながら、幼い菜摘は、その女性をぼーっと見つめていた。 電車到着のアナウンス。女性がこちらを振り返る。 笑顔だった。遠目でもはっきりとわかる笑顔を残し、女性はそのまま線路へと落ちていった。 耳障りなブレーキ音。目を覆う母の湿った手。それが、菜摘の最初の記憶。今でも忘れられない、他人の死の記憶。  時は流れ、菜摘は県内の私立大学に進学した。第一志望の国立には落ちてしまったものの、それなりに学生生活を謳歌している。二年生になり、塾講師のアルバイトも板についてきた。 菜摘の働いている個別指導塾では、入試対策はもちろんのこと、学校の定期テストで良い成績を取るためのサポートもしている。 生徒一人一人と向き合って、それぞれの事情を汲み取りながら、テストの成績を伸ばしていけるこの仕事に、菜摘はやりがいを感じていた。 なにかと多感な時期の生徒を相手にするなら、年の近い現役大学生がいいだろうという塾長の方針で、同僚たちは皆大学生だ。お局やベテランの講師がいないので、気を遣うような場面も少なく、そういう意味でも居心地は良い。  二年生になった菜摘は、これまで担当していなかった高校生の授業を受け持つことになった。三つ四つほどしか離れていない生徒を前に、ナメられないかと不安だったが、存外おとなしい生徒が多く、中学生よりよっぽど扱いやすい。ほぼ同年代ということもあって、話題には事欠かなかった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!