第1章

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 埼玉全域が穴にのみこまれて、彼女の父親はたまたま立ち寄った先で行方不明になった。それ以降、母子家庭となった彼女の家は貧しい生活を余儀なくされる。結果、高校にも行けず、ダイバーとして働くことになった。  彼女はリムジンの窓ガラスから、歩道を行き交う人々を眺める。その中には、おしゃれしてたむろする若者も多かった。おしゃれといっても、学生には高すぎるブランドで身を包むのではなく、ちょっとした小遣い程度のアクセサリーできゃーきゃー言うような者もいる。  彼女も、もしかしたらそこにいたのかもしれない。埼玉難民、父親が行方不明になっていなかったら。 「彼の場合はすべてを失った」  知ってる。  だから、ミナミは彼に憧れた。  埼玉難民でもそのケースはめずらしい。  大抵は家族の一人か二人、大切な人を、もしくは故郷を失うとか、そういうケースだ  若い子が、何もかもすべて失うのは珍しい。  彼はすべてを失った。 「仲良かった友達も、遊んだことのある場所も、家も、家族も、学校も、ちょっと飲み食いした駄菓子屋や、行きつけのゲームセンター、たまにエロ本でも見つけた橋の下――何もかもが飲み込まれてしまった。彼はたまたま、イベントに出かけていたらしいね。東京に行っていた。だから、救われたのだが」  救われたのだろうか。  たった一人、彼以外の者がいなくなった世界で生きることが。 「その後は十五歳までは施設で暮らしていた。しかし、当時は埼玉難民に厳しくてね。いや、きみに説明する必要はないか。施設で大変だったらしい」  当時は突如発生した穴で大混乱していた。埼玉は消えるし、中に入ると変なのいるし、で、さらにはハザードについても問題になった。それは根拠もつかめぬまま、市民の間で妙な噂となり、埼玉難民にまで引火する。  八代日向はダイバーになる前からハザード扱いされ、施設でいじめられ続けていたらしい。 「十五歳。成人になってからは施設の保護も受けられなくなった。彼としてはよろこばしいことだったらしいが、そこから彼はわが社に入った。彼はダイバーとなった。何度も何度も、穴に潜り、死線をくぐり、己の墓穴ではなく化け物の墓穴を掘っていった」  そして髪は変色し、目は肥大した。  さらには精神が歪み、現実世界で圧迫される。
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