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夜霧が体を芯まで冷やした。道の両側には濡れた背の低い草が生い茂っている。
正重が背中を支えるようにして、隣を歩いている。
「もう、ここらでよいぞ、正重」
刈谷の手前あたりで正信はそう言った。
「刈谷の町までお供いたします」
正重が頑迷な眼差しを正信に向けてくる。正信は苦笑した。
「刈谷まであと半里(約2キロメートル)もない。一人でも充分だ。お前は上和田へ戻れ」
正重はそのまま家康に仕える事になった。正重は正信ほど嫌われてはいないが、松平の家臣たちから迫害を受ける可能性はある。だから正信は正重を上和田で大久保党に仕えさせてもらえるよう、家康に嘆願したのだ。
「これから、どちらへ向かわれるのですか」
「特には決めておらんが、都へ向かおうと思っている」
「京ですか」
「ああ」
正信は頷き、夜空を見上げた。黒雲の傘を着た月が弱々しい光を放っている。風で黒雲が流れ、月が消えた。正重の姿が見えなくなるほど濃い闇が降りてきた。
「またすぐに会えますよね」
「もちろんだ」
正信は即答した。
「正純に会わなければなんからな。正重よ、苦労をかけるが、しのをよろしく頼む」
「兄上、ご達者で」
正信は足を引きずり、一人歩き始めた。闇に眼が慣れてきた頃、月がまた顔を出した。
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