《27》

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   永禄8年(1565年)5月19日にその事件は起こった。室町幕府第13代征夷大将軍足利義輝が京の二条城にて松永久秀の急襲に遭い、その命を落とした。享年は29歳であったという。 松永久秀は義輝の叔父である義維(ヨシツナ)を次期将軍に据えようと動き始めたらしい。 義維は長く中風を患い、将軍職など全うできる筈がない。つまり、松永久秀の傀儡だ。事実上、松永久秀がこの国の天下人となっていた。  真柄直隆は真柄館(マガラヤカタ。現、福井県越前市上真柄町徳間)の中庭で素振りをしながら足利義輝の訃報を聞いた。 脱いだ諸肌は汗に濡れている。 気圧されているのか、朝倉義景が使わした若い使者は直立の姿勢で唾を何度も呑み込んでいる。名も知らぬまだ20歳にも満たぬような若い使者を寄越してきた。この一事に直隆は義景の侮りを見てとった。 「義景様のお召しでござる」 若い使者はやっと絞り出すように声を発した。 「直隆殿、どうか明後日の宴に顔を出してはくれませぬか」  義輝の弟、義昭は京を追われ、流浪の身になった。その義昭が義景を頼り、越前の一乗谷城(現、福井県福井市城戸ノ内町)に落ち延びてきたのだ。明後日、義昭一行を歓待する宴が開かれる。義景はその席に直隆も出席しろと言ってきたのだ。 「隆元、放れ」 直隆が言うと、傍らで膝を着いていた隆元が童の頭ほどの石を放った。流石は我が息子隆元、心得たものである。石は若い使者の顔のすぐ前に放られた。直隆は5尺3寸(約175センチ)の愛刀、太郎太刀を一閃させた。
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