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「客間にお通ししておけ」
「はっ」
隆元の巨影が下がる。妾に礼服を用意するよう命じた。
河合吉統といえば、朝倉家中随一の切れ者で、義景の片腕といって余りある人物だ。直隆の怒りに対して、義景はその日のうちに誠意を示してきた。礼には礼で応えるのが直隆の主義である。
憎みきれんな、朝倉義景を。妾に手伝わせて着替えながら直隆は思った。ひょっとしたら自分は朝倉義景に上手く転がされているのかもしれない。
自嘲の笑みを浮かべた後、それでもかまわないと思い直し、烏帽子を頭に着けた。妾が背伸びして、直隆の顔の前に鏡を差し出してくる。
直隆は馬のように長い自らの顔を見つめ、ひとつ、息をついた。天下などは望まない。真柄荘の平穏。直隆の望みはその一点だけである。
廊下に出、客間に入った。河合吉統が軽く会釈してくる。吉統はもうすでに40をいくつか越えている筈だが眼には力強い光が篭り、蝋燭の炎が照らす肌には張りと艶があった。直隆は吉統と向き合う形で腰を降ろした。
「あまり、お館様を傷つけんでくれ」
開口一番、吉統がそう言った。
「あい、すまぬ」
直隆は板敷きに手をついて、部屋が震えるほどの声を出した。顔を上げると吉統が両手の指で耳の孔を押さえていた。
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