《29》

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 その男は、色が白く、目鼻立ちが整った端正な顔をしていた。 だが、この優男然とした見た目には騙されまいと昌景(マサカゲ)は気を引き締めた。 これだけの眼に、激戦地関東で生き抜いてきた武者たちの眼に、武田の男たちの眼に囲まれているというのに、男は眉ひとつ動かさず、しゃんと背筋を伸ばしている。男はまだ二十歳にもなっていないように見えた。男と共に三河からやって来たという年嵩の方の男は落ち着きがなく、何度も眼をしばたたかせて、しきりに両手の指を動かしている。  躑躅ヶ崎館(ツツジガサキヤカタ)の大広間で、背中に武田家臣団の視線を背負い、一段高い真っ正面からは、武田信玄の眼差しをまともに受けているというのに、身じろぎひとつしない若い男は見事としか言いようがなかった。 赤備えに勧誘したいな。そんな事を考えながら、昌景は男の横顔を見つめ続けた。 「榊原康政、と言ったか」 ぎょろ眼を剥いて、信玄が口を開いた。 「はい」 若い男、榊原康政の声に乱れはなかった。 「背後に控えるは夏目吉信でございます」  夏目吉信という年嵩の男が頭を下げたが、信玄の視線は榊原康政から動かなかった。 「三河から甲斐まで、遠路はるばるよう来た。それにしても」 信玄の黒眼が1回転した。悪鬼羅刹を思わせる恐ろしい貌だ。それでも榊原康政の表情は微動だにしなかった。 「気に入らんのう。この間に足を1歩踏み入れれば、皆震え、まともな佇まいなどできなくなる。だが、お前はそうはなっておらん。まことに可愛げがない」
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