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 助手席に乗り込み、最後の目張りをしている背中を見つめる。見慣れた背中。自分のものより広くて、逞しい背中。つい、手を差し伸べそうになって、慌てて引く。 「死ぬことは不安じゃないか、契」  手探りながら心中を鋭く突かれる。震えた喉が唾を飲み込んだ。 「……そんなこと、ないよ」  返す言葉が少しだけ小さくなってしまう。  不安を全く感じていないといえば嘘なのである。いくら好きな相手と一緒にとはいえ、これから死に逝くことを怖いと考えないほど、自分はお気楽でもなかったし、単純なお花畑思考でもなかった。そうかといってそれをやめようとするほど、思慮深くもなければ、臆病者でもない。この期に及んで中間に浮かんでいるのだ。  そんなどっちつかずの自分が歯痒く、唇を噛みしめると、僅かに血の味がした。 「そうか。俺は少しだけ不安だ」 返答に詰まる。こう言ってはなんだが、とても意外だった。  今までいつだって怖がっていたのは自分のほうで、真琴はそれを宥めてくれていた。怖いと不安だという言葉を漏らしているのは一度たりとも聞いたことがない。この心中を決めた時も、計画を立てて準備を進めているときもそうだった。震える体を宥めてもらっていたのは、契のほうだ。 「だからな、契、少しだけ未来の話をしないか?」 「未来?」  どうにも、この場にそぐわない言葉だった。  自分たちは今まさに、心中しようとしているのである。その死の淵に、二人仲良く手を繋いでやってきているというのに、どうしてまた、未来の話をしようなどというのか。 「いままで、出来なかったからな。仮定の話でしかないが……ダメか?」  ガムテープに縁取られた車窓の向こう側では、木々の影が揺れている。風でも吹いているのだろう。月の光をスポットライトに葉が舞っているのが見えた。 「ううん、しよう。しようよ、未来の話」  練炭の燃える煙たい匂い。エンジン音の切れた車内。好きな人の声。  死後の世界にも未来はあるのだろうか、と契は思った。
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