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「いってきます、お父さん、おばあちゃん」
「いってらっしゃい、真子」
「二度と帰ってくるな! この薄情者!」
しわがれた怒号に、それを諌める父の声。その喧騒と真っ赤なランドセルを背に、学校へと向かう幼い少女。白い運動靴に黄色の学帽、量販店で買い与えられた地味な洋服に身を包んだ小学生、熊田真子の一日はこのように始まる。
真夏の陽光が容赦なく照りつけ、うだるような暑さを地上にもたらす。真子の額にも汗が滲む。しかしそれを拭う事も無く、ただ黙々と足を進める。この暑さも、セミのけたたましい鳴き声も、真子にとっては全て遠い世界の事象のように思えた。
登校班に合流し、程なくして定刻通りに小学校の門をくぐる。憂鬱な面持ちで靴を履き替え、四年三組の教室へ向かう。
「あっ、もう来たよ」
「えらいえらい」
教卓の周辺でたむろする女子グループが、悪意な満ちた表情と嫌味たらしい台詞で真子を迎える。席に着いた後も、その好奇に満ちた視線とひそひそ話が止むことはない。
真子の学内での立ち位置は入学当初からほとんど変わらない。無口で、無感情で、不気味な奴と、同級生は口を揃えてそう評する。
「何をしても無反応で面白くない」という理由であからさまないじめを受ける事は無くなったが、このような扱いは依然として続いている。
当の真子はそんな扱いも意に介さず、本を広げて物語の世界に浸る。朝の騒動と同様、これも毎日繰り返される日常茶飯事だ。この教室に、この学校に真子の居場所は殆ど無い。あるとしたらそれは女子トイレの個室、保健室のベッド、そして図書室だけ。
しかし真子はそんな現状を変えて欲しいとも、変えようとも思ってはいなかった。そもそも同級生たちは既に仲良しグループを形成しており、学級カースト下位のそれにも入る余地はなかった。
全ての授業を終え、いつも通り真子は誰とも言葉を交わすことなく一日を終えようとしていた。放課後、図書室で本を借りてから、靴を履き替え学校を後にする。
普段と変わらない通学路の風景。同学の生徒達が談笑しながら、登校時とは打って変わって列をなさず無軌道に歩く。皆やがて来る夏休みに胸躍らせているようだった。そんな中真子は黙々と、ただ真っ直ぐ家路を急ぐ。何も考えていない、そんな表情で。
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