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ある家の前までつくと彼女は立ち止まり、手提げから鍵を取り出して自分で鍵を開けて中に入っていった。目が見えなくとも、鍵穴の位置をしっかり把握していて鍵を開ける事ができるのかと感心した。彼女の家は僕の家からそう遠くない場所にあった。表札は出ていなかった。
僕の足なら10分とかからない距離だったが、彼女の家までついていくのには倍くらいの時間を要した。
僕は彼女が無事に帰宅したのを見届けてから、踵を返し自分の家へ向かった。
自分の家に着いた時、試しに家の玄関の鍵を目を瞑って開けようとしてみたが、思いのほか時間がかかった。近所のおばさんに不審な顔で見られたのが恥ずかしかった。
その日以来、毎日彼女を見かけるようになった、そして彼女が無事に家にたどり着くのを見届けるのが僕の日課になった。
僕は現在目が見える。正しく言い直すと、目で世界を見ることができる。雲の流れる青い空や、それを映す海、山や森などの遠い景色から、人の創った街や文字、表情、そして鏡に映った僕自身の顔。それら世界を満たす光の情報を、眼球が網膜を通して僕の脳に伝え、認識することができる。僕はいままでそのあたりまえのことについて全く疑問を抱かずに、見るという行為を意識することすらほとんどなかった。ものが見えるということ、そして見えないということについて深く意識するようになったのは、彼女に出遭ったことがきっかけだった。
僕はどんなときでも彼女のことを考えるようになっていた。授業中も休み時間も、給食のパンをかじっているときでさえ、早く下校の時間になればいいと考えていた。
そして下校の時間になると急いで学校を出て、彼女が歩いているのを見に行った。たまにホームルームが長引くと、彼女に逢えないときもあったけど、普通の人よりも歩くのに時間のかかる彼女に逢える確率は高かった。
僕のほうが早かった時は、彼女がいつも歩いて現れる道をじっと見つめたまましばらく待った。彼女が現れると、彼女が無事に家に着くまで近くをついて歩いた。
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