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好きだという気持ちを伝えないと決めたのは、他ならぬ水神自身だ。
作家と編集者の関係でいようと決めたのは――――全ては、透のためだと思っていた。
透を傷つけたくないと、そればかりだった。
けれど結局、透を酷く傷つける最悪の結果になってしまった。
透のために身を引こう。
偉そうにそんなことを思っていたけれど、これは透のためなんかじゃなかった。
――――自分が傷つくのが怖かっただけだ。
透に拒絶されたら生きていけないと思ったから。どんな形でも透が傍にいてくれるならそれでいいと思っていたから。
水神は、いつも相手から押されて受け身の恋愛をしてきた。
別に嫌いな相手や遊び相手と付き合った訳ではなく、それなりに好きだと思った通り相手と付き合った……はずだった。
けれど、いつも途中で気が付くのだ。“自分は相手の愛に見合う愛を持ち合わせていない”と。
恋愛の始まりは相手から、そしていつも終わりは水神からだった。出会いも別れも、流れるように過ぎていく。
やがて水神が小説家として売れるようになると、打算的な人間も近付いてくるようになった。水神は恋愛を避けるようになった。
編集者の柳田に惹かれたこともあったけれど、彼もやはり打算的な人間だった。引き波のように、引いていくのはあっという間だった。
水神は、本当の恋を知らなかったのだ。
透のことが好きなのだと気が付いてから、水神の行動はいつもちぐはぐで、矛盾していた。
好きだからもっと触れたいという正直な気持ちと、離れたくないからこのまま穏やかに作家と編集者でいようという姑息な気持ちとが同居していた。その均衡が崩れたとき、水神は透にキスをしてしまった。
心の美しい透を見ていたら、つらくて、切なくて、好きで好きで堪らなくなった。訳もわからず唇を重ねてしまったけれど、一瞬のキスは紛れもない水神の正直な気持ちだった。
その水神の正直な気持ちからの行動を受けて、透は涙を流していた。水神の好意は拒絶されたのだと思った。
怖かった。離れると言われたらどうしようと思った。
水神は、嘘で固めて誤魔化した。正直な気持ちであったはずのキスをなかったことにしてしまった。
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