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ただ、いい作品を作りたいと願っている。
それは作家としては当たり前の感情であろう。そして、それは編集者としても。
透は初心を思い出していた。
自分は何のために編集者を志したか。
いろいろ言われながらも水神の担当を引き受けたのは、なぜなのか。
――――全ては、いい作品を作るために。
「……先生、僕は、本当に仕事ができません」
このときばかりは、緊張することなく、言葉を発することができた。
「恥ずかしながら、仕事ができないからずっと担当を持たせてもらえませんでした。
こういう内向的な性格なので、仕方がないんですけれど。
でも、僕は……」
透は、真っ直ぐ水神を見据えた。
「僕は、とにかく、本が好きなんです。
いい本を作りたいと思うから、僕は頑張りたいです」
正直な心の内を話せるのは、きっと水神が透の緊張を解してくれて自然に話し出すのを気長に待っていてくれたからだ。
今まで、こんな夢のことを誰にも言ったことはなかった。
抱いていた作品に対する熱い思いも口に出すことはなく、作品作りに携わることが許されない自分にいつも悶々としていた。
“何でここにいるの?”と後輩の女性から馬鹿にされることもあった。 それに言い返せない気性にもうんざりしていた。
けれど、辞めなかったのは、未だ本に対する熱意が冷めないからだ。
「……私も同じ気持ちです」
水神は目尻を下げて、微笑んだ。
「祐天寺くん、これからよろしくお願いします。
二人で、いい作品を作りましょう」
そう言って水神に両手を強く握られれば、透の心臓は大きく波打つ。
何だ、今のは――――
「……ああ、でも君はまだ緊張しているのですか? 」
「え? 」
「コーヒーに手を付けていない」
そう言われ、ハッとした。
わざわざ先生に淹れてもらったコーヒーなのに、手を付けないのは失礼だ。
緊張して、忘れていたのもある。
けれど、何より――――
「……僕、ブラックが苦手で。砂糖とミルク、もらっていいですか? 」
こんなところで、自己主張。
水神は、真剣な顔のまま固まっている透を見て、声を出して笑った。
「……もちろん。たっぷり甘くしていいよ」
そんな言葉を添えて。
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