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「何とか機嫌を損ねずに済んだかい? 」
会社に戻ると、デスクに座る柳田がニヤニヤとこちらを見ていた。
「……はい、まあ……」
機嫌を損ねるも何も、大体が、柳田の言うような気難しい人ではなかったのだが。
それを上手く言葉にできる透ではない。
「……勘違いするなよ? 」
「へ? 」
「まさか、“優しかった”とか思ってないだろうね? 」
――――思ってた。
透は、ゴクリと唾を飲み込む。
「最初だけだよ、優しいのは」
「……どういうことです? 」
「みんなそうだったもの。だから女性たちはみんな手を出されちゃったんでしょ」
言われて見れば、そうである。
水神はとても紳士的で優しく、透自身もすぐに好感を持ってしまった。
女性たちがすぐに水神に心を奪われるのは、異性なのだから当然な気がする。
「優しいふりして近付かれて、利用された挙げ句に捨てられるよ」
「……でも、僕は男なので……」
そんなことは関係のない話だと思った。
とにかく、いい作品を作って、水神の機嫌を損ねず、うちの会社を切り捨てられぬようにするだけだろう。
「どこまでピュアなんだ、おまえは」
柳田はそう言って呆れた顔しているが、意味がわからない。
「いいか、祐天寺。とにかく水神先生には気を許すなよ」
「……はい」
「おまえは騙されやすいだろうけど、水神先生を信じるな。
とにかく、売れる作品をもぎ取ることだけ考えろ」
なぜか返事をすることができなかった。
柳田の言うことは、編集者としては大いに正しいというのに。
いい作品と売れる作品がイコールとは限らない。
清く美しいのにとにかく胸に迫る青春物語より、陳腐なエロ要素ばかりの身にならない物語の方が、読者の人気を得たりすることもある。
それは誰もが知る常識で、編集者としては売れる作品を作家さんと作らなくてはいけない。
それは、わかっているのだけれど。
「……頑張ります」
それだけ答えて、透はデスクでの残務処理にあたった。
明日から、また水神の部屋へ行く。
打ち合わせを丁寧にやって、いいものを生み出さなくては。
透は、編集者に向いていないのかもしれない、と思った。
やっぱり、売れるものより、いいものを作りたいと夢物語を頭に描いてしまうのだから。
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