エピソード5《最終章》 紅咒楼

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 何が起きているのか、分からなかった。  私の目の前で、着物姿の女は体を締め付ける管狐の一匹をその手で掴み、ゆっくりと口元まで引き寄せる。  そして赤い紅を塗った口をニタリと開けて、見せつけるかのように……、  その管狐を、頭から食い千切った。 「う……」  顔色を失った私を悠然と見下ろしたまま、口元を真っ赤な血で染めた女は、再び管狐に喰らいつく。  次々と食い千切られた管狐たちの死骸が辺りには散乱し、血飛沫が飛び散る度に、生臭い血の臭いが立ち込めていく。管狐たちの咆哮が鳴り響く中、女の顔が飛び散った返り血で真っ赤に染まる。  それはまさに……異形の鬼の姿だった。  私は、彼女を知っている。  山深い峡谷の奥にある、百咒峡(ひゃくじゅきょう)で初めて会った時から。  私は引き込まれるように、ある洞窟の中へと踏み入った。  滴る水の音。薄暗い静寂。  それでも私は、岩場を乗り越えて更に奥へと進んでいく。  その先に、彼女はひっそりと佇んでいた。  真っ赤な口紅と、透き通るような肌。白い着物に長い黒髪を靡かせたその姿を見て、すぐに彼女がこの世のものではないと分かった。 「……紅咒楼(べにじゅろう)」  私はその怪異の名を呟く。  百咒峡(ひゃくじゅきょう)に住むと言われ、人であろうが怪異であろうが、全てを喰らうとされる鬼の化身。  彼女の射抜くような瞳に捕らえられ、その場から動くことが出来なかった。 「……おいで」  赤い紅を塗った唇で(いざな)うと、彼女はその真っ白い指で私の首筋を撫でた。  凍えるような冷気が、全身を覆う。  鮮血の匂いがした。  ここで死ぬのだと思った。  だがいつの間にか、私は洞窟の外に立ち尽くしていた。  陽光の射し込む樹林を見上げ、赤い血の滲む首筋を擦る。  彼女は私を殺さずに姿を消した。  それが何故なのか、分からなかった。  けれどその日以来、彼女の視線を、彼女の鼓動を、彼女の吐息を、私は自分の体の中で感じていた。  ただ私はそれを認めたくなくて……、気付かない振りをしていただけなのだ。  そして今、彼女は再び私の前に姿を現した。  怪異を喰らい尽くす、異形の鬼として。
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