母の死に目に会えんでから

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 三七日 平成二八年四月十五日  前夜からの地震が百回を超える中、西日本病院にて父の見舞いを終えると、私は再び車を運転し、日帰り車検を受けるためにディーラーに向かいました。体調不良に加え、地震のストレスがあり、寝不足で、運転にはことさら神経を使いました。行きも帰りも、道路が陥没して車線規制中の田井島交差点で酷い渋滞に巻き込まれ、腰痛まで再発した次第です。  深夜になり、睡眠薬を飲んだあとに、どの部屋で寝るのが一番安全かと思案ました。回数は減ってきているものの、なおも地震がつづいており、前夜の震度五強より大きい地震が起こりうるのではないかと危惧したのです。以前に週刊誌で特集記事を読み、日奈久断層帯がマグニチュード八クラスを起こしうることを知っていました。  悩んだ挙句、応接間の奥の間で戸棚に足を向けて寝ることにしました。増築した平屋部分で、構造の弱いのが難点でしたが、老夫婦二人が住んでいた実家の他の部屋には箪笥が陣取っており、戸棚やら他の家具やら電化製品やらが散らかっていました。「来るなら来てみろ、さらなる大地震」と睡眠薬のもたらす一種の酔いで強がり、一方ですぐに避難できるように、貴重品等を入れた鞄と服と懐中電灯を枕元に置き、日付が変わる前に就寝しました。  
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