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十四日、自分の体も労りつつ、父の見舞いを終え、三月分の入院費を西日本病院会計窓口で支払い、赤十字病院の母の治療費を地方銀行の支店で振り込んだあとに実家に帰ると、相続手続きが一番煩瑣なゆうちょ銀行の貯金事務センターから書類が郵送されていました。
午後九時二六分、なんの前触れもなく大きな地震が起こりました。日奈久断層帯の一部が活動したマグニチュード六・五、熊本県では四二年前に阿蘇地方で同六・一を記録して以来の内陸直下型大地震でした。応接間でテレビを見ながら腰をさすって立ち上がったときにP波が到達し、私は咄嗟にマッサージチェアにしがみつきました。ほどなく地鳴りとともにS波がやって来て、テレビに緊急地震速報が表示され、スマートフォンも鳴っていました。戸棚の中身がガラス戸を叩き、天板の上の額縁に入った写真が倒れました。
埼玉で遭った東日本大震災と同じくらいの大きさで、揺れた時間は四分の一ほどだったように記憶しています。一度は切れかけたテレビに映る、震度速報の「熊本地方七」に驚かされました。震度七を記録したのは益城町で、実家のある合志市は同五強、父の病院と姉の自宅がある熊本市東区は同六弱。
私は、父と姉に電話をかけて無事を確認しました。外に出て懐中電灯を手に実家や周辺に被害がないことも確かめ、春の和らいだ夜気の中でホッと胸をなで下ろしました。しかし、県内最大震度六強を筆頭とする地震が続発しました。阿蘇の火山活動に影響を与えるかもしれないと危惧しましたが、本震を誘発する一連の前震だったとは、まだ思いもしませんでした。
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