思い出

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「恋人が信じられない」大藪君がアイスコーヒーをストローで掻きまわしながらそう言う。氷がカラカラと小さな音を立てる。 彼の中で重要な決断が迫られているとき、彼の恋人に相談しても解決にならないこと、現状の選択肢が整理されることも、新たな選択肢が生まれるでもないことを彼は語る。  大藪君の恋人は彼の一つ上の大手銀行に勤める女性で、顔がかわいくて身長は平均くらいで、将来専業主婦になりたがっていて、その布石を大藪君に打って来ているらしい。  大藪君は彼女との思い出を話し続けていて、僕は聞いている振りをしながらバレない程度にカフェの内観を観察している。大人になってから誰かの話を聞く振りがうまくなっている。スキルとしては便利だけれども、そんなスキルを伸ばした自分が悲しくもある。 「恋人って結局他人だよな」彼の経験を総動員したうえで、大藪君はそう結論付ける。 「僕にとって恋人は他人じゃないよ、恋人だよ。」やや食い気味に、僕は正直な気持ちを述べる。  僕の恋人は僕にとって唯一の安心できる居場所だ。会社でも、学校でも、親元でも、飲み会の席でもどこであってもそこそこ馴染むけど、どこであっても自分を帰属させられない僕が、ゆっくりと休むことのできる場所だ。  僕が何も着飾ることなく、気負うことなく、存在できる場所だ。  僕が belongする場所だ。  この表現が的確なのだけれど、僕はうまく大藪君に伝える方法を知らない。いろんな思い出を通して僕の感覚を伝えようとするけれども、大藪君に伝わっているかは不安だ。
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