第1章

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 長尾くんは僕をそんな風には見ない。褒め言葉は山ほどくれても、顔について言われたことは一度もない。だから僕は長尾くんが、と思ったところで、打ち消した。  「はい、どうぞ」  「わ、かわいい。いつもよりハートが大きいような気がする」  そんなのは気のせいに決まってるけど、わざわざ否定することもない。笑顔だけ返しておいて、嫌味にならない程度の片付けを再開する。閉店まであと七分。そろそろ長尾くんが帰ってくる。  「侑吾くんて、お店閉めたあとどうしてるの?」   「普通にしてますよ。ご飯食べたり、ともだちと会ったり」  「友達?彼女じゃなくて」  「彼女、いないんです」  「え~本当? モテそうなのに」  「ははは、ありがとうございます」  これもまた、おきまりの流れ。自分の性向をいちいちお客さんに話すことはない。特に日本では。  「ほんとに彼女いないの?」  「いませんねぇ」  「じゃあ私とかどう?フランス語話せるし」  「ははは」  こうなるともうめんどくささは頂点、でも顔には出さない。コーヒーショップは客商売だ。嫌な客でも追い出す直前までは笑っておけと、和生さんに教えられた。  「やめといたほうがいいですよ。僕、付き合うのに不向きな人間だから」  「でもでも、これまでの彼女ってフランスの人だったんでしょ?日本人はまた違うんじゃない?」   「あ~、どうなんでしょうね」  笑ってごまかしてカウンターを拭いていると、むに、と何かが触れた。  桜色のマニキュアをした指が数本、僕の手の甲に乗っかっている。  「……」  「Tu me plais bien, Hugo」  フランス語で一歩踏み出すことを言いながら、僕を見上げて、首を傾げる。視線が合ってぞぞぞと、背筋に悪寒が走った。手の柔らかさが、見上げる視線が気持ち悪い。男ならばっと払って睨みつければいいけど、女の人のあしらい方は僕には全く分からない。泣かれるのは困るし、変に誤解されたらもっと困るし、振り払った勢いで怪我でもさせたら最悪だ。嫌な記憶がいくつもいっぺんに、蘇る。電車で教室でエレベーターで、突然、女の人が触れてくる。柔らかいのに強引な手が、僕を捕まえて離さない。どうしたらいいか分からないまま触られ続ける。誰かが助けてくれるまで。  握られる力が強くなる。悪寒も強くなる。  背後で扉の鈴が鳴る。  振り向くと長尾くんが、お面のような無表情で立っていた。  
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