命の落とし物

4/9
前へ
/13ページ
次へ
 私の襟を掴む誰かがそう言った。この時、私はずっと首が締め付けられている状態ですでに酸素の薄さを感じ、再びフェンスに身を預けていた。それにもかかわらず、私の襟を掴む誰かは手を離すことはなく、さらにこう続けた。  「その命、こっから落とすんだろ?落としものなら僕にくれ」  何を言っているのかわからなかった。だけど新手の説得にしては少し面白いと思ってしまった。それと、死に向かうのを邪魔された腹立たしさもあったので「あげれるものならいくらでもどうぞ」と、挑発するように言った。  その後私は自ら再びフェンスをよじ登り、靴を履いて、ずっと私の襟を掴んでいた人物と対峙した。  それは同い年くらいの男の子だった。背丈も大体同じか、彼のほうがほんの少し高いくらいだった。しかし、体の線は私よりも細く、黒髪のマッシュで前髪が目を覆うように伸びている髪は、海風にあおられて顔全体を撫でるように乱れていた。全体的にか弱そうな印象を受けたが、向き合う私に「ありがとう」と一言だけ言った彼の声は力強く、笑顔も活気づいて見えた。  彼は一枚の紙を差し出してきて、それに書かれている番号に明日連絡をくれ、とだけ言い残し去って行った。  結局彼は何だったのかわからなかったが、その日はフライトを見送った。一度張りつめた緊張が解けたので、その日はどうしてももう一度このフェンスを乗り越える気にはなれなかった。私の死にたがりはここまでか、と、みじめで情けない気持ちになった。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加