書かねばならぬ

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書かねばならぬ

ふと、書かねばならぬ、と思った。 書くためにはその前に読まねばならぬ、 子供の頃から今まで、そう思っていた。 多く読むことができる彼は貴(たか)い。 碌に読むことができぬ僕は卑(ひく)い。 書いて評価される彼らは何故なら多く読んでいる。 僕が書いても評価されぬ何故なら碌に読まぬから。 読んで読んで読んで堪らず終いに自分で筆をとる。 それこそが、それだけが、書く者の正しい姿だと。 そうに違いない、そうでなければと決めつけた。 実際、物書きの多くの諸先輩はそうかも知れぬ。 ふと、天地が逆転した気がした。 名画をごまんと見れば、よき画家になるのか? 講義をごまんと聞けば、よき学者になるのか? そんな筈はない。それだけでいい筈がない。 「ごまん」とは一体いくつあればよいのか。 絵を描いて描いて描いて、何かが足りぬと名画を見に行く。 研究して研究して研究して、何かが足りぬと先生を訪ねる。 何事もこちらの方がよほど正しい流れではないか。 書いてみなければ、何を読めば良いかもわからぬ。 「準備が足りぬ、は単なる言い訳である」と啓発書は言うが、 言い訳どころか順序が逆なのだ。それは準備ですらないのだ。 僕らが準備と言ってスタートラインの手前で探していた何かは、 むしろスタートラインを超えた向こう側には転がっているのだ。 表現したい世界がある。 啓発したい思想がある。 自分なりの美学もある。 ならば書かねばならぬ。 それを世に問うべきだ。 波に曝し、磨くべきだ。 そう、ふと思い、こうして筆を取った次第である。
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