第一章

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 そう大きくはないが、施設の充実しているこの病院に勤務して三年目に入った。医療ソーシャルワーカー。それが私の職業。先程会話をしていた鹿生(ろくしょう)は、あれでも三つ上の先輩である。  この職業は彼とあと一人、私からすれば上司にあたる男性がいる。彼は私の十五歳上で、この道のベテランだ。そんな彼は昨日今日と休みをとっていて、家族とテーマパークだ。 「あ、小春ちゃん! 今日行くでしょ? 車乗り合いにするんだけど、一緒に乗っていく?」  面談室での話を終え、ステーションでカルテを読んでいる私に声がかかった。近くでは男女二人の看護師が記録物を書いている。声だけでも判断できるが、この病棟で私をファーストネームで呼ぶのはただ一人。 「黒川主任、私のこと下の名前で呼ぶの止めてくださいって、何度言わせる気ですか」  男の看護師を軽く睨み、少し強めの口調で答える。彼は記録物を書きながらちらりと私に目を移すと、それから手を止めた。 「小春ちゃんは小春ちゃんでしょう。いいじゃないか古風で。なあ小野ちゃん」 「うん。私も可愛いと思うよ、小春ちゃんて」  主任に話を振られた小野ちゃんが笑って答える。小野ちゃんは私と同期で、飲み仲間だ。 「だからその古風なのが嫌なんです! こんな古臭い名前、そのまま呼ばないで下さい」  二人はハイハイと軽く返事をしながら笑い、再びペンを走らせた。  自分の名前にコンプレックスを抱いている私は、入社当初からこれまで、下の名前で呼んでくれるなと、関わった職員全員に頼んでいる。木元さんとか、きもっちゃんとか、春ちゃんと呼んでくれる人は多いが、それは許容範囲だ。つまり小春でなければ、どんな呼び方だって構わないのだ。  木元小春(きもとこはる)。消極的な春生まれのフルネーム。小春なんて、そもそも秋の季語じゃないか。 「で? どうする?」  黒川主任が再び私に声をかける。鹿生や他のスタッフとタクシーで行こうと思っていたけれど、鹿生には悪いが黒川主任の言葉に甘えることにした。ドライバーはもちろん主任。彼はアルコールアレルギーで、一滴も飲めない。  ナースコールが鳴り響き、小野ちゃんがピッチで応答する。私はカルテを戻し、病棟を後にした。
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