雨に沈む桜

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彼の最後の手紙は、いつものように重石を乗せてベンチの上に存在していた。 ───桜の木の枝を一房添えて。 【土屋はもうどこにもいません。】 ぽつりぽつりと、雨が降り始めた。 それはやがてザアザアと激しくなっていき、わたしと原田を冷たく打ちのめす。 【おれは、】 雨がひとすじ、原田の頬を伝う。 【あなたを救えましたか?】 町が雨の海に沈んでいく。罪とともに原田も沈んでいく。 深く冷たい海の底、誰の手も届かないような奈落へ。 わたしは少女としての平穏を、あなたと引き換えにしてでも得たいわけじゃなかった。 ただ、いつまでもあなたと文通して、あなたを支えとしていたいだけだった。 それだけだったのに。 雨が桜を呑み込んでいく。そうしてすべてが終わろうとしている。 わたし宛の手紙の隣には、自分が土屋を殺したことを自白する、警察に向けた手紙も添えてあった。それと、わたしが今日まで渡してきた彼への手紙も。 これが公になれば、原田は殺人犯のレッテルを貼られてしまう。彼の不器用で純粋な想いなど、赤の他人によって汚されてしまう。 それだけは───。 わたしは一度裏山を下り、中学校の倉庫からシャベルを持ち出した。そして、裏山の桜の下に、何時間もかけて深い深い穴を掘った。 雨に濡れたぐちゃぐちゃの顔で、右も左も分からないまま、泣きながら掘った。 最後にわたしは穴の底に原田を置き、その上に手紙を重ねて丁寧に土を被せたのだ。 不自然に(なら)された土の上に、桜の花びらが降り積もる。この下で、彼は眠り続ける。二度とその指が文字を綴ることはないのだと思うと、胸が張り裂けそうだった。 彼はもう友人におはようと言わない。 家族におやすみと言わない。 愛する人とともに生きることもない。 原田は死んだのだ。友人や家族を(のこ)し、誰に看取られることもなく。他でもない、わたしのせいで。 そう思った瞬間、急に目の前が真っ暗になった。耐えきれないほどの息苦しさがわたしの思考力を奪っていく。 死に触れるには、わたしはあまりにも幼過ぎた。歪む視界だけを頼りに、わたしは足を(もつ)れさせながら、逃げるようにして展望台を走り去った。 ごめんなさい、と泣きながら。 ───すべての罪を桜の木の下に遺して。
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