雨に沈む桜

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「そうだ、せっかくだから帰る前にあの山の桜を見に行かないか?」 誠二が北に見える低い山を指さす。 それは、芦名田中学校の裏山だった。あの山の展望台にはわたしが青春時代の多くを過ごしたベンチがあり、その傍らには一本の大きな桜の木がある。 そしてその下には───。 動悸がおさまらない。 この人があのことを知っているはずがない。そう思っても、手足の震えは止まらない。 けれどここで動揺する素振りを見せては、変に思われるかもしれない。わたしは拳をぎゅっと握りしめ、誠二に微笑みかけた。 二度と訪れることはないと思っていた、あの展望台。わたしはあの場所を畏怖している。 ずっと考えないようにしてきた。罪の意識に押し潰されてしまいそうだったわたしは、今日まで十四歳の春を消し去ったつもりでいたのだ。 切り離せるはずなどないというのに。わたしはあの頃と相も変わらず、自分の弱さから逃げてばかりいる。 その時、桜の花びらが一枚、ひらりひらりと目の前を横切った。 ふと見渡しても辺りに桜の木はなく、あるとすれば、あの裏山の───。 「志乃?」 誠二が心配そうにわたしの顔を覗き込む。けれど視線は交わらない。 わたしは誠二の声に応えることもせず、今にも泣き出してしまいそうな顔で裏山の桜を見上げていた。 思い出すのは、あの春の日。穏やかで静謐(せいひつ)な桜の木の下で、悲劇は(ひそ)やかにその訪れを告げていた。 気付いた時にはすでに手遅れだった。そして、その時わたしは愚かにも十四歳だった。 今ならやり直せるだろうか。家庭を持ち、自分が犯した罪の本当の重さを理解出来るようになった今なら。 わたしは、あの人を救えるだろうか。
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