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エンドロールに口づけを
出会ったのは、偶然だった。
隣に引っ越してきた小さな男。その細い肩や背中に不釣り合いな大きな荷物が印象的で、ふわふわと跳ねる癖っ毛とあわせて、なぜだかその後ろ姿が記憶にこびりついていた。季節は確か夏にさしかかる頃で、じめじめとした空気に吐き出す煙が、曇天の空に吸い込まれて消えていくような一日だった。
「なぁ、あんた、男と寝てんの?」
引っ越しの挨拶も無しに、喫煙所で最初に交わした会話がこれだった。自分よりも随分と下にある目は気怠げにも眠たげにも見えて、そんな男がそんなことを尋ねてきたのに驚いて、一瞬、反応が遅れてしまったことをよく覚えている。
男は、「クロ」と名乗った。猫かよ、とツッコんだら、ふはりと緩やかに、小さく笑った。童顔の男は、チビで童顔のくせに、もう三十歳になるのだといった。信じられない偶然だけれど、俺と同じ歳だった。
「何、夜中うるせぇとか、そういう苦情?」
一度マトモな会話ではぐらかした問いかけに、戻ってやってもいいかと思ったのは、なんとなく大丈夫そうだと思ったからだ。良くも悪くも、クロは他人に興味を抱かないように思えた。「だったらさすがに控えるけど」なんて、そんな思ってもいないことを軽薄に唇に乗せてクロを見る。クロは、感情をさして乗せない表情を浮かべたまま、ぼんやりと喫煙所の隅を見ていた。質問をしてきたのは向こうのくせに、こちらの問いには完全スルーを決め込まれる。
何だこいつ。
それが素直な感想だったけれど、同時に、面白い奴だな、とも少しだけ思った。
クロは、まさに猫のような性格で、猫のような暮らし方をしていた。仕事はカメラマンで、趣味で映画を撮っているという。実家の酒屋を手伝っている俺には見当もつかない世界に、ただただ「へぇ」と感心することくらいしか俺にはできなかった。会うのは喫煙所から、次第に互いの部屋になっていた。
時々、長期で家を不在にするからと、クロはサボテンの鉢を俺に預けた。クロの部屋にはよくわからない標本や、海月の水槽なんかが置いてある。サボテンより海月だろうと心配したら、クロは眠そうに瞬きをして「あいつはいいよ」と言った。彼の部屋でぷかぷかと漂っている海月のことが少し不憫になる。クロはだいたい、適当な男だった。
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